ラテン語の接続法の用法と例文

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ラテン語の接続法の用法と例文は以下のものがあります。

目次

意思・命令・禁止・譲歩

意思

1人称単数と複数の意思を表します。

Expediam dictīs, et tē tua fāta docēbō.
私は言葉で説明しよう。そしてあなたに、あなたの運命を教えよう。

Expediamは、expediō,-īre(説明する)の接続法・能動態・現在、1人称単数です。

Prōdit nesciō quis: concēdam hūc. Ter.Ad.635
誰かが出てくるぞ。こっちに退こう。

語彙と文法

Prōditはprōdeō,-īre(出てくる)の直説法・能動態・現在、3人称単数です。
nesciōは「知らない」を意味するnesciō,-īreの直説法・能動態・現在、1人称単数です。次のquisとあわせて「誰かが、ある人が」を意味します。
quisは「誰が、何が」を意味する疑問代名詞quis,quidの男性・単数・主格です。
concēdamはconcēdō,-ere(退く)の接続法・能動態・現在、1人称単数です。
hūcは「こちらに」を意味する副詞です。

Aut viam inveniam aut faciam.
私は道を見つけよう、あるいは(さもなくば)それを作ろう。

inveniamとfaciamは、inveniō(見つける)とfaciō(作る)のそれぞれ接続法・能動態・現在、1人称複数です。

Ergō bibāmus. だから飲もう。

bibāmusはbibō,-ere(飲む)の接続法・能動態・現在、1人称複数です。

Vīvāmus, mea Lesbia, atque amēmus. Catul.5.1
生きよう、私のレスビア、そして愛し合おう。

vīvāmusはvīvō,-ere(生きる)の接続法・能動態・現在、1人称複数です。

Omnia vincit Amor: et nōs cēdāmus Amōrī. Verg.Ecl.10.69
愛はすべてに打ち勝つ。我々も愛に屈しよう。

cēdāmusはcēdō,-ere(退く、屈する)の接続法・能動態・現在、1人称複数です。

命令

命令や義務を表す用法です。

Hoc fīat. これがなされるべきである。

fīatは不規則動詞fīō,fierī(なる、起こる、なされる)の接続法・能動態・現在、3人称単数です。

Requiescat in pāce. (死者は)安らかに眠りたまえ。

requiescatはrequiescō,-ere(休む、休息する)の接続法・能動態・現在、3人称単数です。

Cēdant arma togae. Cic.Off.1.77 武器はトガに譲るべし。

Cēdantはcēdō,-ere(譲る)の接続法・能動態・現在、3人称複数です。

Animī bonum animus inveniat. Sen.Vit.2.2 魂の善良さは魂が見出すべきである。

inveniatはinveniō,-īre(発見する、見出す)の接続法・能動態・現在、3人称単数です。

Aura, veniās. Ov.Met.7.813 そよ風よ、おいで。

veniāsはveniō,-īre(来る)の接続法・能動態・現在、2人称単数です。

Quī dedit beneficium taceat; narret quī accēpit. Sen.Ben.2.11.2
恩恵を与えた者は沈黙すべきである。受け取った者は語るべきである。

taceatはtaceō,-ēre(黙る)の接続法・能動態・現在、3人称単数です。narretはnarrō,-āre(語る)の接続法・能動態・現在、3人称単数です。

Tē ratiō dūcat, nōn fortūna.  Liv.22.39運命でなく理性が君を導くべきである。

dūcatはdūcō,-ere(導く)の接続法・能動態・現在、3人称単数です。

Quid dē tē aliī loquantur, ipsī videant; Cic.Rep.6.25(スキーピオーの夢)
他の者たちがおまえについて何を言うかは、彼ら自身に考えさせればよい。

語彙と文法

Quid: 疑問代名詞quis,quis,quid(誰が、何が)の中性・単数・対格。間接疑問文を導く。loquanturの目的語。「他の者たちが(aliī)何を(Quid)言うか(loquantur)」。
dē: <奪格>について
tē: 2人称単数の人称代名詞tūの奪格。dē tēで「おまえについて」。
aliī: 代名詞的形容詞alius,-a,-um(他の)の男性・複数・主格。名詞的用法。「他の者たちが」。
loquantur: 形式受動態動詞loquor,-ī(語る)の接続法・現在、3人称複数。間接疑問文では接続法が用いられる。
ipsī: 強意代名詞ipse,-a,-um(みずから、自身)の男性・複数・主格。「彼ら自身が」。
videant: videō,-ēre(見る、考える)の接続法・能動態・現在、3人称複数。「(彼ら自身が)考えるがよい」と訳す(接続法による命令)。

禁止

上に挙げた「命令」の否定にはnēを用います。

eat.
彼に行かせるな。

eatは不規則動詞eō,īre(行く)の接続法・能動態・現在、3人称単数です。

Immortālia nē spērēs. Hor.Carm.4.7.7
(あなたは)不死なるものを望まないようにせよ。

spērēsはspērō,-āre(望む)の接続法・能動態・現在、2人称単数です。

sīs miser ante tempus. Sen.Ep.13.4
時が来るよりも先に惨めな気持ちになるな(先走りして苦労するな)。

sīsは不規則動詞sum,esseの接続法・現在、2人称単数です。

mittātis margarītās vestrās ante porcōs.
豚の前に汝らの真珠を投げることなかれ。

mittāmusはmittō,-ere(送る)の接続法・能動態・現在、1人称複数です。

譲歩

sit summum malum dolor, malum certē est. Cic.Tusc.2.14
苦痛は最高の悪ではないにせよ、確かに悪ではある。

語彙と文法

Nē: 「~としても」。接続法の動詞(sit)を伴い、「譲歩文」を導く。
sit: 不規則動詞sum,esse(である)の接続法・現在、3人称単数。
summum: 第1・第2変化形容詞summus,-a,-um(最高の)の中性・単数・主格。malumにかかる。
malum: malum,-ī n.(悪)の単数・主格。
dolor: dolor,-ōris m.(苦痛)の単数・主格。
malum: malum,-ī n.(悪)の単数・主格。
certē: 確かに
est: 不規則動詞sum,esse(である)の直説法・現在、3人称単数。

Quamquam ista assentātiō, quamvīs perniciōsa sit, nocēre tamen nēminī potest nisi eī quī eam recipit atque eā dēlectātur. Cic.Amic.97
しかしながら、その追従はたしかに致命的なものであるにせよ、それを受け取る者やそれを楽しむ者以外には誰にも害を与えることができないのである。

sitは不規則動詞sum,esseの接続法・現在、3人称単数です。

願望

否定にはnēを用います。肯定にはutinamを用いる場合があります。

実現可能な現在の願望

Tē ustus amem.  Prop.3.15
私はあなたを灰になっても愛したい。

amemはamō,-āre(愛する)の接続法・能動態・現在、1人称単数です。

Sit tibi terra levis. あなたに土が軽くありますように。(墓碑銘の言葉)

Glōria in excelsīs deō et in terrā pax hominibus bonae voluntātis.
高いところでは、神に栄光がありますように。そして、地上では、よい心をもつ人々に平和がありますように。(※sitの省略)

sitは不規則動詞sum,esse(ある、いる)の接続法・現在、3人称単数です。

実現可能な過去の願望

Utinam hinc abierit in malam crucem! Pl.Poen.799
願わくは、あいつがここから忌まわしい十字架に立ち去ったのならよいのだが。

aieritは合成動詞abeō,-īre(去る)の接続法・能動態・完了、3人称単数です。

実現不可能な現在の願望

Utinam avis essem!
私は鳥だったらいいのに。

語彙と文法

utinam:(願わくは)~でありますように
avis: avis,-is f.(鳥)の単数・主格。
essem: 不規則動詞sum,esse(である)の接続法・未完了過去、3人称単数。現在の事実に反する願望は接続法・未完了過去が表す。

Utinam ego tertius vōbīs amīcus adscrīberer. Cic.Tusc.5.63
願わくば(utinam)、私が(ego)3番目の(tertius)友として(amīcus)君たちの中に(vōbīs)登録されるといいのだが(adscrīberer)。

adscrībererはadscrībō,-ere(登録する)の接続法・受動態・未完了過去、1人称単数です。

実現不可能な過去の願望

Utinam ille omnīs sēcum suās cōpiās ēdūxisset! Cic.Cat.2.4
彼が自分のすべての軍勢を(国外に)連れ出したならよかったのに。

ēduxissetはēdūcō,-ere(連れ出す)の接続法・能動態・過去完了、3人称単数です。

可能性

「可能性」と「懐疑・反問」に分かれます。

可能性

「~かもしれない。~だろう」。

現在の可能性の平叙文には接続法現在、または完了を用います。各人称の単数が使われ、3人称ではaliquis(だれか)、nēmō(だれも~ない)、修辞疑問のquis(誰が~)など。否定にはnōnを用います。

過去の可能性の平叙文には接続法・未完了過去を用います。

Aliquis hoc faciat.
誰かがこれをするかもしれない。

faciatはfaciō,-ere(行う)の接続法・能動態・現在、3人称単数です。faciatをfēcerit(接続法・完了)にしても意味は変わりません。現在の可能性を表す場合、時称は接続法の「現在」と「完了」のいずれかを用います。

Quis dubitet?
誰が疑うだろうか。

修辞疑問文です。dubitetはdubitō,-āre(疑う)の接続法・能動態・現在、3人称単数です。これをdubitāverit(接続法・完了)にしても意味は変わりません。

Quid dē ūtilitāte loquar stercorandī? どうして私は肥料をやることの有用性について語るべきか。
(キケロー、老年について)

語彙と文法

Quid: どうして
dē: <奪格>について
ūtilitāte: ūtilitās,-ātis f.(有用性)の単数・奪格。
loquar: 形式受動態動詞loquor,-quī(語る)の接続法・現在、1人称単数。
stercorandī: stercorō,-āre(肥料をやる、施肥する)の動名詞、属格。

逐語訳

どうして(Quid)肥料をやることの(stercorandī)有用性(ūtilitāte)について(dē)私は語るべきか(loquar)(=語る必要はない)。

Quis crēderet?
誰が信じただろうか。

これも修辞疑問文の例です。crēderetはcrēdō,-ere(信じる)の接続法・能動態・未完了過去、3人称単数です。過去の可能性は接続法・未完了過去で表します(完了ではありません)。

懐疑・反問

現在には接続法・現在を、過去には接続法・未完了過去を用います。否定にはnōnを用います。

Quid faciam?
私はどうすればよいのか。

現在の例です。faciamはfaciō,-ere(行う)の接続法・能動態・現在、1人称単数です。

Quid facerem? Ter.Ad.214
私はどうしたらよかったのか?

過去の例です。faceremはfaciō,-ere(行う)の接続法・能動態・未完了過去、1人称単数です。

Quid faciant lēgēs ubi sōla pecūnia regnat? Petr.14
金銭だけが支配する時、法律に一体何ができようか。

修辞疑問文です。何もできないと嘆いています。

Quid Rōmae faciam? Juv.3.41
私はローマで何をなせばよいか?

問いの答えを求めているのではなく、何をしても空しいという気持ちを表しています。

参考図書

ある程度の概要がつかめたら、教科書の練習問題に挑戦してみてください。次の本は解説と解答がついています。ご不明の箇所があればメールでお尋ねください。

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この記事を書いた人

ラテン語愛好家。京都大学助手、京都工芸繊維大学助教授を経て、現在学校法人北白川学園理事長。北白川幼稚園園長。私塾「山の学校」代表。FF8その他ラテン語の訳詩、西洋古典文学の翻訳。キケロー「神々の本性について」、プラウトゥス「カシナ」、テレンティウス「兄弟」、ネポス「英雄伝」等。単著に「ローマ人の名言88」(牧野出版)、「しっかり学ぶ初級ラテン語」、「ラテン語を読む─キケロー「スキーピオーの夢」」(ベレ出版)、「お山の幼稚園で育つ」(世界思想社)。

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