ラテン語の疑問文
ラテン語の疑問文について全般的なことをまとめておきましょう。英語の疑問文は、Yes, Noで答えられるもの(一般疑問文)と疑問詞を用いる疑問文に大別されます。この分類はラテン語も同じです。
『新ラテン文法』では前者を「特殊疑問文」と呼んでいます。
一般疑問文と受け答え
「~か?」と問う場合、文頭の語に-neをつけます。
Esne beātus? あなたは幸福か。
(beātus,-a,-um 幸福な)
Amāsne lībertātem? あなたは自由を愛するか。
(lībertās,-ātis f. 自由)
Tūne ille Aenēās? あなたがあのアエネーアースか?
ラテン語にはYes,Noに相当する語はなく、肯定する場合は主動詞を繰り返し、否定する場合はnōnをつけて主動詞を繰り返します。例えば、Estne beātus? に対して、Sum. といえば「はい」、Nōn sum. といえば「いいえ」になります。Amāsne lībertātem? の場合、「はい」はAmō.で「いいえ」はNōn amō.です。
なお、肯定の答えを期待する場合は文頭にNōnneを、否定の答えを期待する場合はNumをつけます。
Nōnne lībertātem amāmus? 我々は自由を愛さないだろうか。
(lībertās,-ātis f. 自由)
Num servitūtem amāmus? 我々は隷属を愛するだろうか。
(servitūs,-ūtis f. 隷属)
これらの問いに対して、「愛する」場合はAmāmus.と答え、「愛さない」場合はNōn amāmus. と答えます。
Num, tibi cum fauces urit sitis, aurea quaeris pocula?
もし君の喉を渇きが焦がすとき、果たして黄金の杯を求めるだろうか。(ホラーティウス、『風刺詩』1.2.114-115)
別の受け答え
一般疑問文(英語のYesやNoで答えられる疑問文)に対し、itaを用いて次のように返答することも可能です。
Ita est. そうです。
Nōn est ita. そうではない。
疑問詞を用いた疑問文
ラテン語では、文頭に疑問詞をつけることによって、様々な内容を問う疑問文を作ることができます。以下、疑問副詞を中心に用例を紹介します。
場所を問う疑問文
場所に関する疑問副詞にはubi(どこで)、unde(どこから)、quō(どこに)があります。
Ubi sunt? 彼らは今どこにいるのか。
suntの形から主語として「彼らは」(illī)を補うことができます。このラテン語で念頭に置かれるのは、死んでしまった人たちや、今は現存しない失われた事物のことです。過去を惜しむ気持ちを簡潔に表した慣用表現です。
Ubi est? Aut unde petendum? Mart.5.58.3 それはどこにあるのか。あるいはどこで手に入るのか。
(aut あるいは petō,-ere 求める、手に入れる)
Quō vādis, domine? 主よ、あなたはどこに行くのか。
(vādo,-ere 行く、急ぐ dominus,-ī m. 主人、主)
『新約聖書』「ヨハネ伝」13章36節に見られる表現で、十字架に向かうイエスに対しペテロが語った言葉です。このquōは英語のwhere に相当します。
時を問う疑問文
時に関する疑問副詞は、quandō(いつ)、quamdiū(どれだけ長く)、quousquē(いつまで)があります。
Dīc mihi, crās istud, Postume, quandō venit? Mart.5.58.2
おまえの「明日」は、ポストゥムスよ、いつ訪れるのか、いってくれ。
(dīc<dīcō いう istud<iste [人称代名詞] その veniō,-īre 来る)
Quandō dēnique nihil agēs? 結局いつ君は何もしなくなるのか。(キケロー)
Quamdiū apud vōs erō? 私はどれだけ長く(いつまで)あなた方のところにいるだろうか。
(apud ~のところに erō<sum)
quamdiūはquam(いかに)とdiū(長く)に分解できます。英語のhow longと同じ意味になります。apudは対格支配の前置詞、人称代名詞vōsは対格、erōはsumの未来です。出典は『新約聖書』の「マルコ伝」9章19節に見られるイエスの言葉です。
Quousquē humī dēfixa tua mens erit? Cic.Rep.6.17
おまえの心はいつまで地上に釘付けになっているのか。
(humī 地上に [地格] dēfixa<dēfigō 釘付けにする mens,-tis f. 心)
quousquēは「いつまで」と尋ねる疑問副詞です。dēfixaはdēfigōの完了分詞で、「釘付けにされた状態」を意味します。eritはsumの未来です。直訳は「おまえの心はいつまで地面に釘付けにされた状態であるのだろうか」。キケロー『スキーピオーの夢』に出てくる表現です。
理由を問う疑問文
英語のwhyに相当する語はcūrとquārēです。
Vērum cūr nōn audīmus? Quia nōn dīcimus.
我々は真実をなぜ聞かないのか。なぜなら我々が(真実を)いわないから。
(vērum,-ī n. 真実 audiō,-īre 聞く quia なぜなら dīcō,-ere いう)
cūrは文頭に置かれていませんが、このような使用例もあることが確認できます。問いに対する答えの文にdīcimusの目的語vērumが省略されています。
Ōdī et amō. Quārē id faciam, fortasse requīris. Catul.85.1
われ憎みかつ愛す。なぜそんなことができるのか、君はたぶん聞くだろう。
(ōdī 憎む et そして fortasse たぶん requīris<requīrō聞く、尋ねる)
ローマの恋愛詩人カトゥッルスの表現です。「なぜ(quārē)それを(id)私が行うのか(faciam)」(間接疑問文)はrequīris(あなたは問う)の目的語になっています。間接疑問文における動詞は接続法になるので、faciamは接続法・能動態・現在の形になっています。
疑問代名詞quisの中性・単数・対格quidも「なぜ」の意味で使われます。
Quid opus est verbis? なぜ言葉が必要なのか(=必要ない)。
Sed quid ego aliōs? Ad mē ipsum jam revertar. Cic.Sen.45
だがなぜ私は他人について語るのか。ここで自分自身のことに戻ろう。
(alius,-a,-um 他の ad <対格>に jam 今、もう revertor,-ī 戻る)
aliōsはalius(他の)の男性・複数・対格です。名詞的用法で、「他人」と訳せます。動詞が省かれています。補うならnarrem(語る)が考えられます(narrōの接続法・現在)。revertarはrevertorの接続法・現在です。
様子、仕方を問う疑問文
「どのように」に当たるラテン語は、quīやquōmodoです。quīは元を正せばquisの古い形の奪格で、「何によって」という意味です(手段の奪格)。quōmodoはquō modoと表記されることもあります。このquōはmodō<modus(方法、仕方)にかかる疑問形容詞、男性・単数・奪格で、「いかなる(quō)仕方によって(modō)」という意味です(ただしつづりはquōmodoまたはquō modo)。
Quī potuī melius? Ter.Ad.215
どうすればもっとうまくできたのか。
(melius よりよく)
quīは「どのように」を意味する疑問副詞です。potuīは不規則動詞possumの能動態・完了で、普通は不定法とともに「~することができる」と訳せますが、この文では省かれています。不定法「行うこと」(facere)を補って解釈します。melius(よりよく)は副詞の比較級です。
Quaerō deus quō modo beātus sit, quō modo aeternus. cf.Cic.N.D.1.104
私は問う、神はどうして幸福であり永遠であるといえるかと。
(quaerō,-ere 問う deus,-ī m. 神 beātus,-a,-um 幸福な sit: sumの接続法・能動態・現在、三人称単数 aeternus,-a,-um 永遠の)
この文は間接疑問文なので、副文の動詞(sit)は接続法になります。キケローの『神々の本性について』に出てくる表現です。
数を問う疑問文
数を問う疑問形容詞にquot(どれほど多くの)があります。quotは形容詞ですが変化せず、いつでもquotの形で使われます。quam multīも、数を尋ねる表現になります。
Quot humī morientia corpora fundis? Verg.Aen.11.665
おまえはどれだけ多くの死体を大地に投げ倒すのか。
(humus,-ī m. 大地 morior,-ī 死ぬ corpus,-oris n. 死体 fundō,-ere 投げ倒す)
この文はquotを用いることで、形式上はcorpora<corpus(肉体)の数を問うています。しかし、実際には「感嘆」のニュアンスで使われていますので、「なんと多くの」と訳してもかまいません。morientiaはmoriorの現在分詞(中性・複数・対格)でcorporaにかかります。corporaはfundisの目的語です。『アエネーイス』の表現で、この文の主語は勇猛な女戦士カミラです。
Quam multa sub undās scūta virum galeāsque et fortia corpora volvēs, Thybrī pater! Verg.Aen.8.538-540
あなたは流れの下へ、どれだけ多くの兵士らの盾や兜や屈強な体を転がし運ぶのだろう、父なるティベリスよ。
(multus,-a,-um 多くの sub ~の下へ unda,-ae f. 流れ scūtum,-ī n. 盾 galea,-ae f. 兜 fortis,-e 強い corpus,-oris n. 体、死体 volvō,-ere 転がす、転がし運ぶ Thybris=Tiberis,-is m. 河神ティベリス)
この文も『アエネーイス』の詩行で、河神ティベリスに呼びかけています。quam multaは数を問いながらも、実質的には感嘆文を作っています。multaは中性名詞scūtum(盾)の複数・対格形scūtaと性・数・格が一致しています(中性・複数・対格)。virumはvirの複数・属格です(virōrumの別形です)。
量を問う疑問文
量を問う場合は、疑問形容詞quantus(どれだけ大きな)を用いますが、この語で数を問うこともできます。形の上で量や数を問いながら、実際には感嘆文を作る例が多いです。
Heu quantae miserīs caedēs Laurentibus instant! Verg.Aen.8.537
ああ、哀れなラウレンテース軍にはなんと大きな殺戮が待ち受けることか。
(heu ああ miser,-era,-erum 哀れな caedēs,-is f.殺害 instō,-āre さし迫る、待ち受ける)
quantaeはcaedēs(女性・複数・主格)にかかる疑問形容詞で、instantの主語になります。miserīs…Laurentibusは複数・与格です。
Mūnera quanta dedī vel quālia carmina fēcī! Prop.2.8.11
私はどれだけ多くの贈り物を与え、どれだけ優れた詩を作ったか。
(mūnus,-eris n. 贈り物 dō,-are,dedī 与える vel あるいは carmen,-inis n. 詩、歌 faciō,-ere,fēcī 作る)
quantaはmūnera(mūnusの複数・対格)にかかり、dedī(dōの完了、一人称単数)の目的語になります。quāliaはquālisの複数・対格で、carminaにかかります。「どのような」とは「どれだけ優れた」という意味で使われています。この例文には次の表現が続きます。
illa tamen numquam ferrea dīxit ‘Amō.’ Prop.2.8.12
しかし彼女の心は鉄のように堅く「愛している」とは決していわなかった。
(illa:彼女は tamen しかし numquam 決して~ない ferreus,-a,-um 鉄の、堅い dīcō,-ere,-xī いう)
程度を問う疑問文
quantusの中性形のquantumは疑問副詞として用いられ、「どれほど、どの程度大きく」という意味の疑問文を作ります。これも、実際には「どれだけ大きく、甚だしく」という感嘆の気持ちを込める場合が多いです。
Quantum mūtātus ab illō Hectore! Verg.Aen.2.274-5
あのヘクトルからどんなに変わり果てたことか。
(mūtātus,-a,-um 変わり果てた ab <奪格>から illō<ille [指示代名詞])
mūtātusは「変える」を意味するmūtōの完了分詞ですが、この文では「変わり果てた」という意味の形容詞として使われています。quantumは程度を尋ねる疑問副詞ですが、訳例のように感嘆文を作ります。
選択を問う疑問文
英語のwhich(どちらの)に当たるラテン語の疑問詞はquisですが、二つの選択肢のいずれかを問う場合は、uter, utra, utrumを用います。この語は代名詞的形容詞の一つで、単数・属格、与格以外はnigerの変化と同じです。
Uter ex hīs tibi sapiens vidētur? Sen.Ep.90.14
これら(二人)のどちらが君には賢者に見えるのか。
(ex <奪格>のうちで sapiens,-entis m. 賢者 vidētur 見える: videōの受動態・現在、三人称単数)
uterが文の主語になります。sapiensが補語でvidētur(受動態・現在)が動詞です。tibi(tūの与格)は「判断者の与格」です。
回数を問う疑問文
回数を問う場合、quotiens(何回)を用います。感嘆文の中で「何度も」という意味を表すために用いられることが多いです。
Ō quotiens et quae nōbīs Galatēa locūta est! Verg.Ecl.3.72
おお、ガラテーアは私に何回、なんと甘い言葉をささやいてくれたことか。
(nōbīs=mihi loquor,-ī 話す)
quotiensはlocūta est(形式受動態動詞loquorの完了、3人称単数)にかかります。quaeはquisの中性・複数・対格で、locūta estの目的語です。直訳すると「何たることを語ったか」となりますが、この感嘆文の中では文脈(話者にとってガラテーアは恋人)を考慮し、dulcia<dulcis(甘い)を補って解釈します。なお韻文では人称代名詞の1人称複数は単数の代用として用いられることがあります(上の例のnōbīsはmihiの代用)。
性質を問う疑問文
quālis(どのような)は性質や様子を問う疑問形容詞で、第3変化形容詞の人称変化をします。
Quālis artifex pereō! Suet.Nero.49
何という芸術家として私は死ぬことか。
(artifex,-ficis m. 芸術家 pereō,-īre 死ぬ)
スエートーニウスの『ローマ皇帝伝』に伝えられるネローの言葉です。この文は疑問文ではなく感嘆文と受け取るべきであり、原文にQuālis magnus artifex pereō!(何と偉大な芸術家として私は死ぬことか)と言葉を補って解釈するのがよいでしょう。
文脈から疑問文と判断する例
Crēdēbās dormientī haec tibi confectūrōs deōs?
おまえは神々が(deōs)これらのことを(haec)おまえのために(tibi)やり遂げるだろうことを(confectūrōs esse)信じたのか(crēdēbās)?(テレンティウス、『兄弟』693)
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