学生の選んだラテン語名言

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97年度京大ラテン語レポート

Vixi et quem dederat cursum Fortuna peregi, et nunc magna mei sub terras ibit imago.

「私の命はもう終わりました。運命が私に与えてくれた道は歩き尽くしました。今や私の大きな似姿が地の底へ入っていくのです。」

私はこの例文を見たとき、ある言葉を思い出した。それは今は皇太子妃となった雅子さんが皇太子との結婚を決心したときの記者会見でいった言葉である。「死ぬときに、ああいい人生だったと思って死にたい。」という言葉だ。
この例文を見たとき、私は五年前に聞いたこの言葉をふと思い出した。というのも、「私の命はもう終わりました。運命が私に与えてくれた道は歩き尽くしました。」という言葉と「死ぬときに、ああいい人生だったと思って死にたい。」という二つの言葉には相通じる心情があるからだ。

それは簡単にいえば、「わが人生に悔いなし」という心情である。自分の人生を後悔したくないという願いは万人共通の願いである。ドラマや小説などで主人公が何か大きな決断をしようとしたとき「人生は一度だけなのだから後悔したくない」といって困難ではあるが、自分の望む道を選ぶというのはよくあるパターンである。

私には理想とする生き方がある。それは井上靖作「天平の甍」にでてくるある僧の生き方である。その僧は仏教の勉強のために遣唐使として中国に渡る。中国で仏教の勉強をしていたのだが、あるとき自分が勉強するよりも教典を写し、それを日本に持ち帰ったほうが、日本の仏教界にとっては役に立つことではないかと思うようになる。

それ以来、ひたすら写経をつづける。周囲の僧たちからは、変わり者とレッテルをはられ、何の成果もあげることのできない無能な人間として嘲笑される。しかし、かれは周囲の人々が彼のことをいかに笑いあざけろうと、写経し続ける。

他人から何をいわれようと、自分が正しいと思ったことをやり続ける僧の生き方に私は非常に感動を覚えた。この本を呼んだ時期、私は自分が文学部にとどまるべきか、またはもっと実用的な他学部に転部しようか迷っていた時であった。

というのも、文学部にいて研究しても何ら社会に益することがないような気がしていたからだ。しかし、この本を読んで私の迷いはふっきれた。他人からどう思われても自分が信じることをするほうが幸せだ。他人から自己満足だといわれるかもしれない。しかしそれはそれでよいではないか。まさに、

Miserum est arbitrio alterius vivere.
(他人の恣意的判断によって生きることは惨めだ)
ということに気づいた。ゆえに、私は文学部で英文学を専攻しようと決めた。それに、私がこの小説をよんで非常に感動し、迷いがふっきれたように、本には人を感動させる力がある。世界にはそのような本がたくさんある。
しかし、その本が自分の母語でかかれていないために読めないとなると、それは非常に悲しいことだ。ゆえにその外国語でかかれた本を母語に翻訳すれば、多くの人がその本を読み、感動することができる。文学には人の感性に訴える力があるのだと思った。

ここで一つだけ忘れてはならないのは、justitia(正義)という言葉だ。

Nihil enim honestum esse potest, quod justitia vacat.
(正義を欠いているものはいかなるものも価値があることはできない)
からだ。つまり、正義を欠く行為をすると、後で必ず後悔する。そのように正義を欠いた人生を送ったところで死ぬときに「私の命はもう終わりました。運命が私に与えてくれた道は歩き尽くしました。」、「ああいい人生だった」と思うはずはないのである。

「Hora fugit」について

「ホラ女神は逃げる」などとピントはずれの解答を、予習段階で書いていたのであまり偉そうなことも言えませんが、ここ数年来「Hora fugit」を実感しています。大学に人ってからすでに1年と半分かと思うと、時間の経過の早さを痛感せずにはおられません。まこと、「時は逃げ去る」ものです。しかし、その時間とは、いったい何なのでしょうか。
この問題を考えるとき、私は、高校生の頃に読んだミヒャエル・エンデの『モモ』を思い出さずにはいられません。ご存じの通り、時間泥棒と盗まれた時問を取り戻してくれた少女モモの物語です。灰色の紳士がやってきて、「時間を倹約し、貯蓄する」ようにしむける。しかし、「倹約」した時間は彼らに盗まれていて、人々は「時間」を失っていくのです。

この話には、読んでいてつじつまが合わないところがいくつかあります。たとえば、六章その他で、時間泥棒は時間を秒や時間で計量し、「何時間」「何秒」節約することを教えます。あるいは、十一章でも、モモの追跡に失敗したことによる損失を時間・分・秒で計量しています。また、物語のクライマックスでモモは「1時間分の時間の花」を渡されます。

ところが、時間を盗まれたからといって別に機械的に一日24時問が20時間になるわけではありません。「生きた時間」いわば「ゆとり」がなくなっていくわけです。たとえば、仕事を愛情込めてやる時間、友だちと過ごす時間、好きな本を読んだり映画を見たりする時間など。言い換えれば、充突した時間、楽しいと感じていられる時間、夢中になっている時間です。秒や分、時間で量りうる「時間」を盗んでいるわけではないのです。

とはいえ、充実した時間だけがそれを経験した人の中に降り積もっていく本当の時間であり、いやいややっている時間は本当は空虚な時間なのだというメッセージは、やはり、少々けちを付けたぐらいで傷つくものではないでしょう。

例えば、勉強ひとつにしても、興味を持っている分野のこととか、興味を持っている分野を学ぶのに必要な知識や技能を学ぶのならば、楽しいだけではなく苫労はあっても充実した時間を過ごすことができます。しかし、「お客さん」として教室の机に座っていることのなんと苦痛なこと!

「忙しいとは心が亡いことだ」という高校時代の恩師の言葉を思い出します。あれもしなければならない、これもしなければならない、と時間を切り詰めていたら、そんな心のこもらない時間は、「時間泥棒に盗まれて」、結局自分の時間はなくなってしまうのでしょう。

『モモ』のなかでエンデは「時間とは生活なのです」*1と書いています。(原文:Zeit ist Leben.)「Leben」ば「生命」という訳もできるので、この文章に限っては、時間とはいのちなのです、としてもいいかもしれません。

マイスター・ホラ*2の「どこでもない家」でモモは自分の「時間」を見るわけですが、その「時間の花」は、咲いては盛りを過ぎて枯れてゆくひとつひとつが、ひとつとして同じものはなく、どれもかけかえがなく美しいものなのです。

高校生にして読んだときでさえ、よく分かっておらず、今にしてようやく『モモ』が少し分かりました。和訳本の『モモ』のケースには小学5、6年以上と印刷してありますが、なかなかどうして、「子供向き」とは思えない高度な内容です。

実際のところ、「Hora fugit」は和訳すれば、「光陰矢のごとし」とでもなるのでしょう。あるいはもっとあからさまにいうなら、「時は金なり」とか「寸暇を惜しんで勉学に励め」といった『モモ』の思想とは対照的な立場に立つ思想なのでしよう。

しかし、産業革命以後顕著になった「生産性の重視」は、いまや産業とそれに関わる部分での美徳ではなく、人類普遍の美徳にさえなりおおせています。それも昨日今日のことではありません。「自分たちの若い頃は寸暇を惜しんで勉強したものだ」という繰り言を吐く年輩の方はたくさんいらっしゃるのですから。

勉強が楽しいだけであるはずもないことですが、しかし勉強することが「生きた時間」を過ごすことであるようにしたいものです。漠然と「将来の役に立つから」だとか、「卒業するために単位が必要な授業だから」としか思えないのだったら、その時間は逃げ去っているのです。「Hora fugit」を時間泥棒に時間を盗まれないようにする戒めとしたいものです。

最後に、少し大げさですが現在の心境を。Feci quod potui.

*1 『モモ』ミヒャエル・エンデ作 大島かおり訳 岩波書店 1976年 95頁
*2 MEISTER SECUNDUS MINUTIUS H0RA

前期の授業を通じて、一番、印象に残った言葉は次であります。

Potentissimus est qui se habet in potestate.
「自分自身を支配の下に置いている者が一番強大なのだ」

これを私は自己流に「己に克つ」という意味に解釈しました。「己に克つ」は論語の顔淵篇にある言葉ですが、私はこれを、自分に克つ、つまり挫けようとする弱い自分を叱咤激励する言葉として処世訓の一つにしています。
私は62歳の時、ホノルル・マラソン42.195キロに挑戦し、成績は別として完走しました。マラソンコース上をサイレンを鳴らして走る救急車が、20キロ地点を過ぎた位のところになると、私の横を通る時は、必らず徐行するどころか一旦停止する。

馬鹿にするな!と口では言わずに、心でにらみつけましたが、今だったら、

Potentissimus est qui se habet in potestate.

というところであります。

しかし、最後にゴールして、小錦のような大男のアメリカの大会委員に抱きかかえられ祝福されたときは、さすがに胸が熱くなりました。

結局、私は参加者13268名、完走者11854名中、11621位、タイムは8時間6分6秒でありました。

今まで私は、語学辞典の序文というものはあまり真剣に読んだことはないのですが、このたび田中秀央編「羅和辞典」の「初版まへがき」を読んで厳粛な感動に心を打たれました。

淡々と編纂の経緯が書いてありますが、昭和10年(1935年)3月、著者が独りでペンをとりあげられてから、昭和27年(1952年)6月15日、遂に出版にこぎつけられるまでの17年の歳月は、日本の歴史の中で国民の生活がどんなに苦しい時代であったかを思うとき、この「羅和辞典」はあだやおろそかにはできないと思います。

昭和6年(1931年)満州事変が起こってから、昭和12年(1937年)日華事変へと戦争が拡大するに及び、いわゆる国家総動員法が公布され(昭和13年・1938年)には、軍事教練が大学での必須科目になったのでした。

そして遂に、昭和16年(1941年)太平洋戦争に突入し、昭和20年(1945年)敗戦。

この戦争での死傷者は、陸海軍人・一般国民を含めて250万人といわれております。

しかも、昭和20年の敗戦から後の食糧不足は深刻で、おそらく田中秀央先生も食うや食わずの生活だったと思います。

日本経済が立ち直り、やっと生活に明るさが出てきたのは、昭和25年(1950)年朝鮮戦争が起こり、いわゆる特需景気でインフレが衰亡、工業の復興が進み、食糧不足も解消へ向かいました。

その2年後の昭和27年(1952年)6月15日にこの「羅和辞典」は日の目を見ております。

あの悲惨であった戦中戦後の時代にも、学問への情熱を失わず

「Festina lente」(ゆっくり急げ)
の金言を体して出版にこぎつけられたことは、私には想像できない程のご苦労であったことと思い、ただただ頭を垂れて心からの敬意を表する次第であります。

96年度京大レポート

Veni, vidi, vici.

来た、見た、勝った。
この言葉は、関西で最も有名なラテン語の一つだと思う。関西に住んでいる人なら「来た、見た、買うた!」と叫んで、お兄ちゃんが電気製品を持って飛び上がる日本橋の電気店の「喜多商店」のCMを見たことがあるはずだ。
僕は「喜多」商店だから、「キタ」という音を生かして、「来た、見た、買うた!」というコピーを使ったのだと思っていたが、ラテン語の勉強をしたおかげで、本当の元ネタに行き当たることができたわけだ(喜多商店のCMは一時、「来た、見た、買った」というコピーに切り替えていた時期があったが、こちらの方が元ネタに近い)。

最初に、この言葉は関西では有名だと書いたが、ほとんどの人は、このCMの本当の面白さはわかっていないはずだ。カエサルの「来た、見た、勝った!」という言葉を知らなければ、そのまま見過ごしてしまうコピーではある。それにしても大阪はあなどれない。
(文3年、N.N)

Jucunda memoria est praeteritorum malorum.(CiFin)

過ぎ去った不幸の記憶は快い。
日本語で言う「のどもと過ぎれば熱さを忘れる」に類する表現であろう。しかし日本語のこの諺よりもずっと積極的な意味を含んでいるように思われる。辛かったことも過ぎてしまえば平気である、というのが日本の諺であるが、平気であるばかりでなく、さらに快感まで感じてしまうというのがこの言葉である。不幸の時代を乗り越えて今いる自分を誇りに思うのである。
私自身の不幸の記憶を思い起こすと、小学校時代、人間関係で非常に苦しんだ。幼心に孤独というものを教室の中で感じていた。そして一人で耐え、乗り切った。そのことを思い出すと、胸が痛むと同時に、それでも今いる自分を快く思う。辛い思い出を甘美なものとしてさえ感じることができる。

不幸の思い出を振り返ることができる、ということは、今不幸の外にいるということの証明である。逆に、失われた幸せの思い出ほど辛いものはない。人生を肯定的に見ているこの言葉が非常に好きである。また不幸の中にあっても、この言葉が自分を支えてくれるように思う。
(文、H.Y)

Dum docent discunt.

教える間に学ぶ
ラテン語の最大の特徴であり魅力でもあるのは、その文章の簡潔さである。デカルトの「我思う、故に我あり」という言葉、英語なら”I think, therefore I am.”が、ラテン語だと、”Cogito ergo sum.”のようにわずか三語で書けてしまう。つまり一つの語に多くの情報が含まれていることが面白い。この面白さもふまえて、印象に残った文が、
Dum docent discunt.

教える間に学ぶ
という文である。これは実体験からいって納得のできる言葉である。もっともこのようにして「学んで」いたのは、受験の時期までではある。このことを理解することによって、これを教訓として受け取るのではなく、逆手にとってわからないという人間を利用して自分が「学ぶ」のに役立てていたのだが。

またこれを英語で書けば、”While they teach someone, they learn.”とでもなるだろう。できる限り、省略しても、”While teaching, they learn.”である。それがラテン文だと、「教える」「学ぶ」という意味の動詞を3人称複数形に変えて2つ並べ、接続詞で結びつけるだけで同じ意味になってしまう。むろん「3人称複数」という情報が動詞の中に含まれているから可能なわけである。
(文2年、S.Y)

Calamitas virtutis occasio est.(Seneca, De Providentia)

災難とは、勇気を示すための好機である
セネカの道徳論集の内の”De Providentia”(『神慮について』第4部の一文。第4部では、大人物の条件を「自ら進んで自分自身を逆境に差し出す」ことのできる者、としている。敵も持たず、面倒な事件にも当たらずに過ごしてきた者、つまり「一度も不幸ではなかった者は、不幸」だ。自らの真価を輝かせる機会がなかったからだ。負傷して帰還した兵士は、無傷で帰還した兵士よりも大きな敬意を受ける。
神が我々の心に与える刺激を恐れてはいけない。「災難とは、勇気を示すための好機である」。また、不幸を免れる者はなく、それに対して未経験な者には、その荷は過酷だが、自らそれをくぐりぬけてきた「古兵」にとってそれは軽い。神から最も過酷な難儀を課される者は、神の目に最も適った者で、彼はそのことを喜ぶ。

運命は我々を鞭打ち、我々は戦うほどに強くなる。運命は徐々に我々を自分と同等の相手に鍛え上げる。船乗りの体が海に堪えて強く、農夫の手にたこができ、兵士の腕に槍を投げる強い力があり、走者の足が敏捷であるように、災いをくぐりぬけた心は、災いに堪えることを軽く見る。

第4部の結尾近くでは、いまだローマ文明の及んでいないゲルマニア族等の種族の、自然に鍛えられる生活が、決して不幸な生活ではないと書かれる。セネカは、文明に浸ったローマ人を批判しているのではないか。

Nihil aliud est ebrietas quam voluntaria insania.SeEp.83

酩酊とは好きこのんで狂気を得ることに他ならぬ.
現在私たちが使用している教科書『独習者のための楽しく学ぶラテン語』の良い点は,各課ごとに,単なる文法解説のためのつくられたセンテンスではなく,古代の大文学者たちの書き残した含蓄のある言葉が例文として多数ひかれているところにある.ラテン語を学び初めて3カ月,授業を重ねるたびに(文法の理解はともかくとして)これらの名言に接し,「なるほどね。」とか,「うん,そうかなあ。」という勝手な解釈を加えつつも,古代ローマ人のこころを垣間みようと試みてきた.
そのうちでも上にあげた一文は私のなるほどランキング(?)でも上位に置かれる実に正鵠を得た表現であると思う.「酩酊は自発的な狂気以外のなにものでもない」と直訳しても簡潔でよい.私がこの例文に目を止めたのは,たぶんに実体験に基づいていて,最近しばらく嫌なことが続いた後で,コンパや飲み会があると誰に飲まされるわけでもなく「自発的に」がんがん飲んで,その結果「狂気」にいたることがよくあるからである.

しかしこの一文が収められているのはセネカの『道徳書簡集』なのであり、それは否定的な意味合いをもつ。同じ書のNemo liber est qui corpori servit.「肉体に隷属する者は誰も自由ではない。」や<>「賢者は精神を支配し、愚者は(精神に)仕えるだろう。」、そして<>(Ci.Tusc.2.21)>>「理性は万物の支配者であり、女王である。」という言葉が端的に示すように、古代ローマの文人(教養人)たちは、人間の理性を尊び、「本能に従い、心の赴くままに生きる」ことを固く戒めたと思われる。(ちなみに、これら3つの例文は、私の中の「なるほど度」は低い。)

そうは言っても、誰もが理想的な人生を送っていたのなら、このような「道徳」をわざわざ書き残すはずがなく、実際には、多くの庶民たちは、そして彼ら自身さえ時には、欲望に目がくらんだり、割り切れない恋に身をやつしたり、酒に溺れたりすることがあったろう。そういう現実的な目で最初の例文を眺めると、voluntariaという一語に、たまには酔っぱらって羽目をはずしたっていいじゃないか、という開き直りに似たおかしみが感じられるのである。

(総合人間、3年T.M)

Jucunda memoria est praeteritorum malorum. (CiFin.2,32)

テキストでは、「過ぎ去った不幸の記憶はここちよい」と直訳されているが、この言葉の心は、百人一首にとられている藤原清輔の和歌の心に通ずるのではないか。
すなわち、「ながらへば またこのごろや しのばれむ 憂しと見し世ぞ いまは恋しき」(生きながらえたなら、またこの頃がなつかしく思われるのだろうか。辛いことの多かった昔が、今はなつかしいのだから。。。)

私のような若者が主張してもあまり説得力はないが、この歌は、多くの人の胸にしみいる真実を、さらりと瀟洒に詠んでいるように思われる。古今東西、人の思うところは同じである。

(総人3年、R.O)

Epistula enim non erubescit.

この情報化社会において、電話、Fax、電報、さらにはインターネットによって、人の意志意見がじかに相手に伝達されるにもかかわらず、今をもって手紙というものが存在し、なおかつ重要視されるのはなにをもっていえるのであろうか。
確かに、この言葉の通り、「手紙は赤くならない(赤面しない)」のである。人は例えば面と向かって相手と話すとき、本音を話そうとすると、それを真剣に思っていればいるほど、赤面してしまうものである。

だから、それを避けるために、わざと本音を曲げていってみたり、冗談半分に言ってしまったりしてしまう。ところが、「手紙は赤くならない」のであるから、どんな気恥ずかしいことでも、平気で口に出してしまう。

(文2年、K.Y)

Fides, ut anima, unde abiit, eo numquam redit.

信頼は人が生きていく中で、人間関係においてなくてはならないものである。例えば、友達同士においても、一度信頼を失ったら、つまり一度その友達を信じることができなくなったら、2度とその友達は信じられないだろう。
なぜなら、信じようと思っても、必ず前のことが頭に浮かんで疑いが生まれるからだ。信じるふりをすることはできても、完全に信じることは無理に等しい。仕事に関しても同じことがいえる。

周囲の人々から自分の信頼を確立するまでは、かなりの時間と努力を要する。しかし、それが崩れるのは、一瞬である。それゆえ非常に大切かつ、手に入れがたいものである。魂と同じで決して失うことがないようにしたいものである。

(文2年、E.M)

Verba volant, scripta manent.

(言葉は飛び散ってしまうが、書かれたものは残る)
なるほどなあ、と思った。言ったことは口から出た瞬間に消えていってしまい、覚えていたとしても永久ではない。書いたことはいつまでも残る。身近なこととしては、電話と手紙を思い浮かべた。
電話は現実だし、同時に受け答えができるのでナマだけれど、それっきりである。手紙はリアルな対話はできないけれど、いつでも読み返すことができ、ああ、こんなことを考えていたんだと思い出すことができるのである。そして燃やしてしまわない限り、永久だ。

この文で言葉が「飛びちる」としたところが気に入った。言葉を惜しむ感じがよくわかるからである。どんな内容であれ、言葉は大切である。

もしも「書かれて残って」いなければ、今私がラテン語なんかを勉強できるはずがない。もう誰にも話されておらず、遠い昔に使われていたこの言葉を今知ることができるのは、書かれたものが残っているからだといえよう。

(文2年、Y.S)

<言語としてのラテン語>

ラテン語の特質を考えるとき、絶対に避けて通れないのは、それが全くの古典語であり、本来の姿のまま使用されることがないという事実であろう。ラテン語と並んで主要古典語とみなされるギリシア語やヘブライ語も、正確には古代ギリシア語、古代ヘブライ語であった、それに対応する現代語をもっている。言語体系という観点から見ると、ラテン語は非常にしばしば「複雑で難しい」と言われていて、実際私自身も少々そのことについて不安を抱いていた1人であるが、学習上の最終的困難は予想していた程大きくないといえる。
その理由としては、2つほど考えられる。1つは幸か不幸か、ラテン語の学習を始めるまでに手を付けた言語がいくつかあったことである。もちろんどれもものになっているとはいいがたいので、実質上多大な益をもたらしていると言うわけではない。しかし、英語、フランス語、ドイツ語に目を通したのみならず、ロシア語さらには現代ヘブライ語にまで挑戦した経験が、ラテン語を目の前にした私に、多少なりとも勇気を与えてくれたのは確かである。一見フランス語のようで、文法はロシア語寄り、それに英語で鍛えたボキャブラリーでだいたいのイメージがつかめる。。などと勝手に解釈しながら取り組んでみると遠い遠い言語であるはずのラテン語がなんだか身近に感じられるのである。

そして2点目。これこそがラテン語学習をして、他のいかなる言語の学習と異ならしむる点であるが、最初に述べたいわゆるほとんど「死語」であることからくる純度の高さである。英語の次にフランス語を、またはドイツ語を学んでいる時に感じる、いわばマンネリ化のような状態があまりない。現在使用されている言語の学習は、必ずと言っていいほど、退屈な例文を免れ得ない。日常生活をカバーしなくてはならない入門書だと、その内容は何語をやっていてもさして変化はないのである。その上、言語どうしが似通っていると学習している方の興味もやはり失せてきてしまう。

しかしラテン語の学習上の目的に「日常会話の修得」などは入ってこないのが普通で、その上、テキストは当時の哲人たちの言葉が満載と決まっている。複雑な文法に四苦八苦するだけの価値は十二分にあるといえるのではないだろうか。もちろん、これは私自身の見解に過ぎないのだが、ラテン語の醍醐味はやはりそのようなところにあって、その学習は決して単なる外国語習得のための作業ではない気がする。

95年度同志社大学レポート

Dum aurora fulget, adulescentes, flores colligite.

“Dum aurora fulget, adulescentes, flores colligite”「若者たちよ、曙の光りがさしているうちに、花をつみとれ。」若いうちに、できるうちに、やりたいことをやりましょう。 “O mihi praeteritos referant Juppiter annos!”「ユピテルが我に過ぎ去りし年月をとりもどさんことを!」と叫んでも無駄ですから。

“Nemo ante mortem beatus.”「死を前にして幸福な者はいない」とか悲観的に人生を見ることもできますが、逆に”ede,bide,lude,post mortem nulla voluptas”「食え、飲め、遊べ、死んだら楽しみはないぞ」というふうに開き直ることも可能でしょう。人生なんて、あるいは世界なんて見方次第でどうにでも変わるのではないでしょうか。

あまりはめをはずさずに”Misce stultitiam consiliis brevem, dulce est desipere loco.”「思慮に僅かの愚鈍を混ぜよ、しかるべき時に愚かに振る舞うことは心地よい」というふうに時と場所を心得て馬鹿なことをやるのは構わないと思いますが、もっとも最近の中学生の自殺のニュースなどを聞いていると、どうも “Omnia pati semper maluerunt homines quam mori”「人は死ぬよりはあらゆることにずっと耐える方を好む。」というのは信じがたくなります。もう少し楽観的に物事を見てもいいと思うのですが。

“Elapsam semel occasionem non ipse potest Juppiter reprehendere.”「一度滑り落ちた機会というものはユピテルでさえ取り戻せない。」一度きり与えられたこの生という最大の機会を簡単に捨て去ってしまうのはあまりにももったいなくはないでしょうか。天国(そのようなものがあればですが)でもう一度取り戻したいと思っても、それは手遅れになっているかも。(S.S)

ラテン語のことわざ

ラテン語で一番気に入っているのがことわざである。直訳するとわかりにくいものもあるが、一般に文が短くてすっきりしている。たとえば「急がば回れ」などがそうである。ラテン語では”Festina lente”がこれにあたる。festinaは「急ぐ」という意味の動詞の命令法・能動相・現在単数形であり、「急げ」という意味になる。lenteは「ゆっくりと」という意味の副詞で、全体を直訳すれば、「急げ、ゆっくりと」となる。

また”Carpe diem”と”Memento mori”はそれぞれを直訳すると違った意味になるが、全体的に見るとたいへんよく似ている。carpeは「(花を)摘め」、diemは「1日を」という意味で、「1日1日を摘み取れ」という意味になる。一方”Memento mori”については、mementoが「覚えている」という動詞の命令法、moriが「死ぬこと」の意を表すので、「死を忘れるな」という意味になる。2つを比べ、両者を意訳すると「今日を生きろ」となるのではないか。

次に”Mors certa, hora incerta”について。これは「死は確かに来るが、その時は定かではない。」という意味になる。この文も先の2文とよく似た意味をもつ。「いつ死ぬかわからないが、いつかは確実に死ぬ。明日死ぬかもしれない。だから今生きているこの一日を大事に生きろ」ということである。ぼくはこの中で、Memento moriという言葉が一番印象に残っている。 (K.M.)

共感するラテン語

“Dum exspiro, spero.”「最後の息を吐くまで私は希望を持つ。」この一文に私はもっとも共感を持った。人間として最後の最後まで希望を持ち続け、目標に向かって戦い、がんばり続けることが大事だと思えるからだ。反対にいえば、希望も目標も持っていない人は、最後の息を吐く必要がない、イコール生きる必要がないということになる。この一文は韻も踏まれていて、なかなか響きのよいものである。

次に、”Usus magister est optimus.”「経験は最良の教師である。」を取り上げたい。何事も教科書や授業で習っただけでは役に立たない。実際にやってみて経験を積んだ方が役に立つといった意味なのだろうか。私は車でレースをやっているが、本やビデオでサーキットの走り方をいくら勉強しても対して役には立たなかった。実際にコースに出て車を動かし、何度もレースの経験を積むことによって速く走れるようになることを身を持って知った。(T.M.)

3つのラテン語

(1)Virtus laudata crescit.「徳は称えられて成長する。」

ある小説の中に出てきた言葉で、私が唯一この教科書以外で知ったラテン語なので選びました。

(2)Si amicitia e vita tollatur, num vita vitalis esse possit?「もし人生から友情を取り去るならば、人生は生き生きしたものであり得ようか?」

大学時代や今までの生活を振り返り、友情の大切さを身にしみて感じているのでこの文を選びました。

(3)Quia dives es, non idcirco es beatus; quia pauper, non idcirco miser.「君は金持ちだからといって幸せであるとは限らない。貧乏だからといって哀れということはない。」

よく聞くような言葉だが、これからは自分で稼ぎ生計を立てて行かねばならないので、こういう言葉には考えさせられる。私は貪欲であるがゆえに金で幸せを計ろうとするが、果たして自分はよい暮らしをしているのか心配である。(N.K.)

哲学とラテン語

学問を志す人間の取るべき態度は探偵的態度ではないかと私は思う。何が起こったのか、何に疑問を抱くのか、なぜそうなるのかを確実な証拠と共に明らかにする。これが学問における基本的姿勢である。探偵のように疑う、そんな態度を積極的に導入したのがデカルトである。デカルトの言葉、また他の哲学者はデカルトをどのように受けとめたのかを下に僅かではあるけれども記したい。

(1)Cogito, ergo sum.「私は思惟する、ゆえに私は存在する。」フランスの哲学者デカルト(1596-1650)『方法序説』から。デカルトは完全なる学問の基礎を見出すために全てを疑う。身体を疑い、普遍的概念を疑う。最後に決して疑うことの出来ない存在に気づく。それが「私」である。

(2)Ego sum cogitans.「私は思惟しつつ存在する。」 オランダの哲学者スピノザ(1632-77)『デカルトの哲学原理』から。スピノザはデカルトの問題点を指摘する。デカルトの命題では、存在することの前提として考えることがある。普通、前提は結論より明瞭でなければならない。しかし、デカルトにおいて唯一明瞭で確実なことは私が存在することである。そこで、スピノザは上記の命題に書き換える。

(3)Ego cogito—cogitata qua cogitata.「私は思考されるものを思考されるものとして思考する」 ドイツの哲学者フッサール(1859-1938)『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』から。フッサールはカント哲学の復権が叫ばれる中、デカルトの懐疑を重視する。デカルトが偽なるものとして捨てた世界派、フッサールにおいて思考する私に必然的に属する思考されるものとして存在する。

人間は自分に都合のいいことは実際よりも大きく評価する。また都合の悪いことは実際よりも小さいものと評価する。しかし大事なことは、現実を正しく認識することである。とてつもない困難も、実際には容易に解決できる問題だった、あるいは単純なミスとして片づけてきたことが、実際にはつまづきの石であったということがよくある。また、ただ一度の成功によって本来の目的を見失う、逆に簡単な発想の転換で問題を解決できることもある。現実を正しく認識し、自分に対して恋人を見るような近視眼を向けないこと、これが私の人生訓である。その人生訓の標語めいたものを、私はカントの『純粋理性批判』序文の中に見出した。

Tecum habita et noris, quam sit tibi curta supellex.「汝自身の持つものを知れ、そうすれば汝の持つものがどれほど簡単であるかが気づかれるだろう。」(H.I.)

プロペルティウスの言葉

multi longinquo periere in amore libenter, in quorum numero me quoque terra tegat.
「多くの人が長く続いた恋のさなかに喜んで死んでいった。その中に私も加えて土がおおってくれますように。」

これはプロペルティウスというローマの詩人の「恋のさなかに死ぬ誉れ」という詩の中の1部分です。これは死ぬまでの長い間、誠実な愛に生きて死に際してその長い愛の人生を振り返って満足して死んでいったという詩です。忠実な恋の奉仕に捧げられた人生の終点としての死、死に至るまで変わりなく続く恋に捧げられた人生の理想が書かれています。

プロペルティウスはこの詩の中で自分の恋が生前から死後まで変わりなく続くことを感じて書いているのです。私はこれを呼んで1人の人を死ぬまで変わらずに愛せたら素晴らしいなと思いました。そして死んでも好きなんてことがあり得るのだろうかと思いました。(A.K.)

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この記事を書いた人

ラテン語愛好家。京都大学助手、京都工芸繊維大学助教授を経て、現在学校法人北白川学園理事長。北白川幼稚園園長。私塾「山の学校」代表。FF8その他ラテン語の訳詩、西洋古典文学の翻訳。キケロー「神々の本性について」、プラウトゥス「カシナ」、テレンティウス「兄弟」、ネポス「英雄伝」等。単著に「ローマ人の名言88」(牧野出版)、「しっかり学ぶ初級ラテン語」、「ラテン語を読む─キケロー「スキーピオーの夢」」(ベレ出版)、「お山の幼稚園で育つ」(世界思想社)。

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