キケロー『老年について』における大カトーのセリフ
Sī vērō habet aliquod tamquam pābulum studī atque doctrīnae, nihil est ōtiōsā senectūte iūcundius.
まことに、研究や学問という糧のようなものが幾らかでもあれば、暇のある老年ほど喜ばしいものはないのだ。(キケロー『老年について』49 中務哲郎訳)
語彙と文法
Sī: もし
vērō: だが
habet: habeō,-ēre(持つ)の直説法・能動態・現在、3人称単数。
aliquod: 不定形容詞aliquī,-qua,-quod(ある、任意の)の中性・単数・対格。pābulumにかかる。
tamquam: いわば
pābulum: 第2変化名詞pābulum,-ī n.(食物、栄養)の単数・対格。
studī: studium,-ī n.(研究)の単数・属格。pābulumにかかる。
atque: 「そして」。studīとdoctrīnaeをつなぐ。
doctrīnae: doctrīna,-ae f.(学問)の単数・属格。pābulumにかかる。
nihil: 「無」を意味する中性・単数の不変化名詞nihilの主格。
est: 不規則動詞sum,esseの直説法・現在、3人称単数。
ōtiōsā: 第1・第2変化形容詞ōtiōsus,-a,-um(暇のある)の女性・単数・奪格。senectūteにかかる。
senectūte: senectūs,-ūtis f.(老年)の単数・奪格。
iūcundius=jūcundius: 第1・第2変化形容詞jūcundus,-a,-um(喜ばしい)の比較級、中性・単数・主格。
逐語訳
だが(vērō)もし(Sī)研究(studī)や(atque)学問の(doctrīnae)いわば(tamquam)何か(aliquod)食べ物(pābulum)のようなものを彼(=老人)が持つ(habet)なら、暇のある(ōtiōsā)老年時代よりも(senectūte)喜ばしい(iūcundius)ものはない(nihil est)。
補足
キケローはここでstudium(研究)とdoctrīna(学問)に取り組むことが老年時代を豊かにすることを示していますが、人生百年時代においてこの言葉は大変示唆的です。
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