Ars longa vita brevis. 芸術は長く人生は短し

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Seneca
セネカ

タイトルのラテン語は、日本語では「芸術は長く人生は短し」という表現で知られます。元はギリシャの医聖ヒポクラテスの言葉でしたが、ローマの哲人セネカがラテン語に訳し、『人生の短さについて』の中で紹介しました。本来の意味は「少年老い易く学成り難し」に近いものでした。以下、このラテン語の語彙と文法、言葉の背景について説明します。

語彙と文法

「アルス・ロンガ・ウィータ・ブレウィス」と読みます。
ars は第3変化名詞 ars,artis f.(技術)の単数・主格で、文の主語です。英語で art ですが、ラテン語のarsは「人間の技」、「技術」という意味をもちます。
longaは第1・第2変化形容詞longus,-a,-um(長い)の女性・単数・主格です。文の補語です。
動詞 est (~である)が省略されています。「ars は longa である」となります。
vīta は「人生、生活、命」を意味する第1変化名詞vīta,-ae f.の単数・主格です。この文の2つ目の主語です。
brevis は第3変化形容詞brevis,-e(短い)の女性・単数・主格です。 vītaと性・数・格が一致します。
この文の後半は、「vītaはbrevisである」となります。後半の動詞estも省略されています。
「技術は長く、人生は短い」と訳します。
元はヒッポクラテースのギリシア語です。アルス(ギリシア語でテクネー)は医術のことで、それを習得するには人生はあまりに短かすぎるという趣旨の言葉でした。
一方、この表現が英語に入ると Art is long, life is short. と訳されることにより、art の意味を「芸術」と理解するようになりました。「芸術は長く、人生は短し」と訳されることが多いです。
セネカが『人生の短さについて』の冒頭で引用しています(1.2)。セネカの表現自体は、Vīta brevis, ars longa.の語順です。

「ラテン語講習会」でこの作品を読んでいます。セネカの議論は、人生は生き方次第で(哲学を中心に据えた生活を実践することで)十分長くなる、というものです。

「芸術は長く、人生は短し」をめぐって

「芸術」という言葉は、art (アート)の訳語として明治時代に生まれましたが、カタカナの「アート」とともに今ではすっかり日本語の中にとけ込んでいます 。
「芸術」に関する英語の格言に、Art is long, life is short. というのがあります。一般に「芸術は長し、人生は短し」と訳されます。出典はギリシアの医学者ヒッポクラテスの言葉とされ、そのラテン語訳が上で見た Ars longa, vīta brevis. (アルス・ロンガ・ウィータ・ブレウィス)です。
しかし、ラテン語の ars はギリシア語のテクネーに相当し、本来は「芸術」というより、自然に対置される人間の「技」や「技術」を意味する言葉でした。たとえば、英語 art の形容詞形 artificial は、「わざとらしい」とか「人工的な」という意味をもちますが、その反意語は「自然な」という意味を持つ natural です。
ここでヒッポクラテスの言葉に戻ると、彼は「芸術」でなく「医術」について語ったのであり、その趣旨は「人生は短いが、医術を修得するのに要する年月は果てしなく長い」というものでした。つまり、「少年老い易く学成り難し」と同じような意味です。しかし、やがて時代がたち、オリジナルのギリシア語はラテン語に直され、さらに英語から日本語に翻訳される過程を経て、いつしか元の意味とは異なり、「芸術は長し、人生は短し」という日本語が人口に膾炙するようになります。
言葉の歴史とはおもしろいもので、語源でつながっていると言っても、時代が下ると意味の変化するケースが少なくありません。
たとえば、英語のアート(art)を用いた表現として「リベラル・アーツ(the liberal arts)」という言葉があります。大学の「一般教育」、「教養課程」などがその訳語となります(今は死語となりつつありますが)。リベラルは「自由な」という意味ですから、liberal arts の意味を「自由な芸術」と考えてしまうと、それがどうして「教養課程」と結びつくのかわからなくなります(ちなみに明治時代に西周はリベラル・アーツを「芸術」と訳したのでした)。では、元をたどってみましょう。

じつは、アートの語源であるラテン語の ars には「学問」という意味もあり、リベラルには「自由人にふさわしい」という意味が込められていたのです(liberal の語源はラテン語で「自由な」を意味する形容詞 liber です)。つまり、「(奴隷ではなく)自由人(=立派な市民)にふさわしい学問」というのがリベラル・アーツの本来の意味でした。

付記
この言葉を「山の学校」のブログで紹介しました(2023-06-03)。
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この記事を書いた人

ラテン語愛好家。京都大学助手、京都工芸繊維大学助教授を経て、現在学校法人北白川学園理事長。北白川幼稚園園長。私塾「山の学校」代表。FF8その他ラテン語の訳詩、西洋古典文学の翻訳。キケロー「神々の本性について」、プラウトゥス「カシナ」、テレンティウス「兄弟」、ネポス「英雄伝」等。単著に「ローマ人の名言88」(牧野出版)、「しっかり学ぶ初級ラテン語」、「ラテン語を読む─キケロー「スキーピオーの夢」」(ベレ出版)、「お山の幼稚園で育つ」(世界思想社)。

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