語彙と文法
「クーラーティオー・ウルネリス・グラウィオル・ウルネレ・サエペ・フイト」と読みます。
cūrātiō はcūrātiō,-ōnis f.(治療)の単数・主格で、文の主語です。
vulneris はvulnus,-neris n.(傷)の単数・属格で、cūrātiōにかかります(「目的語的属格」)。
graviorは第3変化形容詞gravis,-e(重い)の比較級、女性・単数・主格です。主語のcūrātiō と「性・数・格が一致」しています。
vulnere はvulnus,-eris n.(傷)の単数・奪格です。比較の構文で「~よりも」に当たる形は奪格になります(「比較の奪格」)。
fuit は不規則変化動詞sum,esse(である)の直説法・完了、3人称単数です。「格言的完了」と呼ばれる例です(日本語に直す際には現在時制で訳します)。
「傷の治療は、しばしば傷そのものより大きな痛みをともなう。」
色々な意味で取れるでしょう(政治システムの改革とか)。解釈はご自由に。
余談:エッセイ
傷の治療は、しばしば傷そのものより大きな痛みを伴う
虫歯は放っておけないし、その治療も痛みが伴うし。国にせよ、会社にせよ、個人にせよ、問題が何か見つかっても、その現状はもちろん容認できないけれども、その改革プランにはもっと大きな痛みが伴う、ということでしょうか。孔子は、「(間違いに気づいた時は)改むるに憚ることなかれ」と教えていますが。
同じ趣旨の言葉として、タキトゥスは『年代記』の中で次のように述べています。
Populus est novarum rerum cupiens pavidusque. 人民とは、政変を渇望しつつまた恐れてもいるものだ。
ここで「政変」と訳した res novae は文字通り訳すと「新しい事」となりますが、ラテン語では「革命」を意味します。また、主語に当たる populus は vox populi vox dei. (人民の声は神の声)でおなじみの単語です。
民衆がなぜ政治の変革を恐れるかと言えば、「傷の治療は大きな痛みを伴う」からということになります。しかし、「痛み」を伴わない「治療」はないのであり、逆にすべてがバラ色に輝くような「改革」はうさんくさいということになります。
もっとも歯医者が歯の治療に麻酔を使うように、世の中には改革の痛みを忘れる「麻酔」が用意されています。パンとサーカスです。
ユウェナーリスは、「(民衆が)熱心に求めるのは、今や二つだけ:パンと戦車競技と。(duas tantum res anxius optat, / panem et circenses.)」と喝破しました(、『風刺詩』10,80)。
サーカスと意訳されるcircensesは元は円形劇場のことですが、ここでは戦車競技などの「見せ物」のことを意味します。今ならテレビなどの娯楽番組でしょうか。
しかし、ユウェナーリスの詩句に見られる「民衆」は政治の主人公ではありませんでした。一方、民主主義社会における政治の主体は「民衆」です。歯の治療を行う当事者が自分で自分に麻酔を打つ愚を犯してはいないかどうか、考えるときがきています。
すなわち選挙に行かないことは、歯医者が治療を放棄することです。「自分一人くらいどうってことないや」という同じ気持ちが、たとえば観光地のゴミの山をつくるわけでしょう。何党でもよいので選挙にはいきましょう。
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