語彙と文法
「ウォクス・ポプリー・ウォクス・デイー」と読みます。
voxは第3変化名詞 vox,vōcis f.(声)の単数・主格です。(研究社の羅和辞典の見出しは、vox,vōcis,f.となっていて単数・主格はvōxではありません)。
populī は第2変化名詞 populus,-ī m.(国民、人民) の単数・属格です。文頭のVoxにかかります。
deī は第2変化名詞deus,-ī m.(神)の単数・属格です。2つ目のvoxにかかります。
動詞としてest(不規則動詞sumの直説法・現在、3人称単数)を補います。
「民衆の声は神の声(である)」となります。
余談
『ラテン語名句小辞典』(野津寛著)によると、「アルクインは民衆の喧騒はむしろ凶気に近いと言って、このような格言を吹聴する者の言うことを聞くべきではないとしている」とのことです。
表題をそのまま訳すと「民衆の声は神の声(である)」となります。「天声人語」という表現はこのラテン語を元にしているようです。vox populi が「民の声」、vox dei が「神の声」という意味なので、語順通りに訳すと「人語天声」という訳になります。
それはさておき、元来この言葉はネガティブなニュアンスで使われていた点に注意する必要があります。中世の神学者アルクィンがカール大帝に宛てた書簡の中に、「民衆の騒乱はいつも狂気に近いものがありますので、Vox populi, vox Dei. と始終主張する輩の言うことに耳を傾けてはなりませぬ。」という用例が見つかります。
アルクィンは為政者の側から「人語」を恐れたわけですが、民主主義の世の中になった今、為政者たる私たち「民衆」には何も恐れるものはなくなったと言い切れるでしょうか。
アルクィンが恐れたのは「人語」が一かたまりになって誘発される「狂気」でした。この危険性は人間が生きる限りいつの時代にも変わらずにあります。民主主義においては、その危険が自分の外側ではなく内側にあるというだけです。
話題を現代に引き寄せれば、「人語」は「世論」と解釈できますが、それに大きな影響を与えるのが「教育」と「マスコミ」です。「マスコミ」はややもすれば世論を画一的なものに誘導しがちです。鍵を握るのは、一人ひとりの柔軟な思考に基づく判断力です。自分の頭で考え、判断する態度をもつには、あえて反対意見が「正しい」と仮定する態度を習慣づけること、自分の考えを誠実に疑い続ける姿勢を身につけることです。今後民主主義社会においては、この点に留意した「教育」の実践にますます意義が出てくるように思われます。
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