Homo homini lupus.

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語彙と文法

「ホモー・ホミニー・ルプス」と読みます。
homōは「人間」を意味する第3変化名詞 homō,-minis c.の単数・主格。文の主語です。
hominī は、同じ名詞の単数・与格です。「人間にとって」。「判断者の与格」です。
lupusは「狼」を意味する第2変化名詞 lupus,-ī m.の単数・主格です。文の補語に相当します。
動詞 est が省略されています。
estは不規則動詞sum,esse(である)の直説法・現在、3人称単数です。
「人間は(Homō)人間にとって(hominī)狼(lupus)である(<est>)」という意味になります。
原文には、Lupus est homō hominī.の語順で出てきますが、一般には表題の形で知られます。
ローマの喜劇作家プラウトゥスの『ろば物語』に出てくる言葉です(Asin.495)。

ラテン語の難しさ

ラテン語の難しさの一つとして語順の問題があげられます。上のラテン語の場合、単語は3つだけですが、主格が2つあるため、どちらを主語とみなすのかという問題があります。

プラウトゥスのテクストではLupusが文頭にありますが、上で説明した通りlupus(狼)は文の補語と考えるのが正しいです。Lupusを主語、homōを補語として訳すと、「人間にとって狼は人間である」となり意味が通りません。

文法に基づいて正確に単語を分析できても、それだけで正しい解釈はできません。最終的な詰めの部分で「日本語の意味の通り具合」がものをいいます。

この言葉の出て来る作品の翻訳

ローマ喜劇集 (1) (西洋古典叢書) プラウトゥス 木村 健治

日本語訳が入手しにくい場合、英訳等を利用する手もあります。

余談

表題の言葉は「人を見たら泥棒と思え」と同じニュアンスで用いられています。同じく喜劇作家カエキリウスの断片に、「人間は人間にとって神。もしも義務を知るならば」という言葉が残ります。断片なのでこれ以上はわかりませんが、「義務を知らなければ狼」という含みが感じられるので、基本は人間不信の言葉なのかもしれません。

人間社会はしょせん弱肉強食の世界だと言う人がいます。そう割り切るとき、タイトルの言葉はこの立場の人たちの心情を代弁します。しかし、人間関係をめぐるすべての営みを戦いとみなすことには抵抗があります。とりわけ、自分の身の回りの家族や友人の顔を思い浮かべるときには。ただし、カエキリウスが述べたように、人として義務を果たさなければ、身近な人間関係の中にさえ信頼を築くことはできない。これは確かなことでしょう。

義務というと大げさですが、親は心を込めて子を育て、子は親の恩に報いるよう努力する。友人同士は助けあって信頼を築いていく。困った人がいたら助けてあげる。そういう当たり前のことを指します。人と人が当たり前のこと(義務)を安々とやってのけるとき、人間は人間にとって狼とは言えないでしょう。

プラウトゥス

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この記事を書いた人

ラテン語愛好家。京都大学助手、京都工芸繊維大学助教授を経て、現在学校法人北白川学園理事長。北白川幼稚園園長。私塾「山の学校」代表。FF8その他ラテン語の訳詩、西洋古典文学の翻訳。キケロー「神々の本性について」、プラウトゥス「カシナ」、テレンティウス「兄弟」、ネポス「英雄伝」等。単著に「ローマ人の名言88」(牧野出版)、「しっかり学ぶ初級ラテン語」、「ラテン語を読む─キケロー「スキーピオーの夢」」(ベレ出版)、「お山の幼稚園で育つ」(世界思想社)。

コメント

コメント一覧 (3件)

  • ホッブズが国家の成り立ちを考えたときに人間の強欲がぶつかるリスクで人間どうしが共倒れになるのを防ぐ目的として造られたという前提で持論を進めるが、動物や霊長類の研究からはそこまで人間の強欲が徹底してなく、むしろジョン・ロックの自然状態の方が正確だと思う。人間どうしの意思疎通による差異の調整するために国家が成立したのだと…なんの話しでしたっけ?ラテン語のことでしたか、私、ラテン語はちんぷんかんぷんで。
    「誰でも何でもできるわけではない」

  • […] Lupus est homō hominī.はどうでしょうか。Lupusは「オオカミ」です。行末のhominīは「人間にとって」を意味します(homōの単数・与格)。ふつうはLupusを主語と思います。そうすると、「オオカミは(Lupus)人間にとって(hominī)人間(homō)である(est)」という訳になります。一方、homōを主語とみた場合、「人間は(homō)人間にとって(hominī)オオカミ(Lupus)である(est)。」と訳せます。どちらがよいでしょうか。正解は後者です。そのほうが日本語として意味が通るからです。文法的にはどちらも正解です。 […]

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