エッセイ

Curatio vulneris:傷の治療

2011年6月4日

Curatio vulneris gravior vulnere saepe fuit. 傷の治療は、しばしば傷そのものより大きな痛みを伴う。

虫歯は放っておけないし、その治療も痛みが伴うし。国にせよ、会社にせよ、個人にせよ、問題が何か見つかっても、その現状はもちろん容認できないけれども、その改革プランにはもっと大きな痛みが伴う、ということでしょうか。孔子は、「(間違いに気づいた時は)改むるに憚ることなかれ」と教えていますが。

同じ趣旨の言葉として、タキトゥスは『年代記』の中で次のように述べています。

Populus est novarum rerum cupiens pavidusque. 人民とは、政変を渇望しつつまた恐れてもいるものだ。

ここで「政変」と訳した res novae は文字通り訳すと「新しい事」となりますが、ラテン語では「革命」を意味します。また、主語に当たる populus は vox populi vox dei. (人民の声は神の声)でおなじみの単語です。

民衆がなぜ政治の変革を恐れるかと言えば、「傷の治療は大きな痛みを伴う」からということになります。しかし、「痛み」を伴わない「治療」はないのであり、逆にすべてがバラ色に輝くような「改革」はうさんくさいということになります。

もっとも歯医者が歯の治療に麻酔を使うように、世の中には改革の痛みを忘れる「麻酔」が用意されています。パンとサーカスです。

ユウェナーリスは、「(民衆が)熱心に求めるのは、今や二つだけ:パンとサーカスと。(duas tantum res anxius optat, / panem et curcenses.)」と喝破しました(、『風刺詩』10,80)。

サーカスは元は円形劇場のことですが、ここでは「見せ物」のことを意味します。今ならテレビなどの娯楽番組でしょうか。

しかし、ユウェナーリスの詩句に見られる「民衆」は政治の主人公ではありませんでした。一方、民主主義社会における政治の主体は「民衆」です。歯の治療を行う当事者が自分で自分に麻酔を打つ愚を犯してはいないかどうか。

この考えでいけば、選挙に行かないことは、歯医者が治療を放棄することです。「自分一人くらいどうってことないや」という同じ気持ちが、たとえば観光地のゴミの山をつくるわけでしょう。

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