語彙と文法
「フギト・イッレパラービレ・テンプス」と読みます。
fugit は「逃げる」を意味する第3B変化動詞fugiō,-īre の直説法・能動態・現在・3人称単数です。主語は tempus です。
tempus は「時」を意味する第3変化名詞tempus,-poris n.の単数・主格です。
irreparābile は「取り戻せない」を意味する第3変化形容詞 irreparābilis,-e の中性・単数・主格で、tempus と性・数・格が一致します。tempusにかけて訳す(=「形容詞の属性的用法」とみなす)とき、「取り戻せない時間は逃げる。」となります。
一方、「形容詞の副詞的用法」とみなすと、「時間は取り戻せない状態で逃げる」となり、これを日本語らしく整えて、「時間は逃げ去り二度と取り戻せない」と訳すことができます。
ウェルギリウスの『農耕詩』に見られる言葉です(3.284)。
『農耕詩』の文脈
Sed fugit interea, fugit inreparabile tempus,
singula dum capti circumuectamur amore. 285
だがその間に時間は逃げ去り二度と取り戻せない。
私たちが一つ一つの事柄に心を奪われて巡り歩いているうちに。
『農耕詩』第3巻は「家畜の世話」がテーマです。「心を奪われた」と訳した箇所はcapti…amoreですが、直訳は「愛にとらわれて」。詩人は先行箇所で主題に絡めて動物のamorのコントロールの話をするうちに脱線し、amor omnibus idem.(愛はすべての生き物にとって同じ)(3.244)と述べたうえ、人間の愛の悲劇の例として「へーローとレアンドロス」に言及します(3.258以下)。
上の引用文(3.284-285)のいわんとすることは、「ついつい私は「愛のテーマ」を夢中で語ることに時間を費やしてしまったようだ。ここで本題に戻ろう。時間は大切なのだから」という感じの内容です。
capti…amoreは「語ることの(dicendi)情熱に(amore)とらわれて(capti)」と理解できます。dicendi amoreのように言葉を補わなくても、「<愛(のテーマ)>にとらわれて」と解釈することもできます。つまり、amoreには「情熱」の意味と、「愛のテーマ」の二つの意味を読み取ることが可能です。
文献案内
ウェルギリウスの『農耕詩』はリンク先の京大学術出版会の翻訳で読むことができます。
牧歌/農耕詩 (西洋古典叢書)
ウェルギリウス 小川 正広
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