Nemo enim potest omnia scire.

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ウァッロー

「ネーモー・エニム・ポテスト・オムニア・スキーレ」と読みます。
nēmō は「誰も~ない」(英語の Nobody)という意味を持ちます(単数・男性・主格)。
enim は「なぜなら、じつに、まことに」を意味します。
potest は「<不定法>ができる」を意味する不規則動詞 possum,posse の直説法・能動態・現在、3人称単数です。
omnia は「すべて」を意味する第3変化形容詞omnis, -e の中性・複数・対格です。名詞的に用いられ、「すべてを」を意味します。
scīre は「知る」を意味する第4変化動詞 sciō,-īre の不定法・能動態・現在です。
誰もすべてを知ることはできない」と訳せます。
ウァッロー『農業について』(De agricultura)に見られる言葉です。

ウァッローの言葉の解釈

表題は、あらゆるジャンルに通暁した知の巨人の言葉として受け止めるとき、いっそう重く響きます。知を愛する人にとって、この言葉は情熱に水を差す言葉に聞こえるかもしれませんが、事実はその逆です。

人間はすべてを知ることができないかわりに、自分の知り得た知識を周りの仲間に、また、次の世代に伝え残すことができます。神の目から眺めれば、人間は今この瞬間にも、過去の知識のすべてを引き受け、チームワークで試行錯誤を重ね、真理に肉薄しているのです。

個々に「すべてを知ることは出来ない」。だからこそ、人間は互いに力をあわせ「学び続ける」ことに意味があります(だから大学もある)。命に限りがあるように、知識にも限界があります。でも、命も知識も(その課題も!)人類のレベルでは未来に向かって確実に継承されていきます。

ニュートンの言葉

ニュートンは、自分は浜辺で貝殻を集めて遊ぶ子どものようなものだ、一方真理の大海は未知のまま目の前に広がっている(the great ocean of truth lay all undiscovered before me)と述べました。海の貝殻すべてを独り占めできないから無念である、とは誰も言いません。我々は、大海の存在に畏敬の念を抱きつつ、目の前の知の貝殻と戯れる子どもでありたいと思います。

I do not know what I may appear to the world,
but to myself I seem to have been only like a boy
playing on the sea-shore, and diverting myself in now and then
finding a smoother pebble or a prettier shell than ordinary,
whilst the great ocean of truth lay all undiscovered before me.

Memoirs of the Life, Writings, and Discoveries of Sir Isaac Newton (1855)

ニュートンのラテン語

PrincipiaのテクストはThe Newton Projectでファイルを入手できます。

DEFINITIO Ⅰ
Quantitās māteriae est mensūra ējusdem orta ex illīus
densitāte et magnitūdine conjunctim.

語彙と文法


Quantitās: quantitās,-ātis f.(大きさ、量、程度)の単数・主格。
māteriae: māteria,-ae f.(材料、素材、物質、質量)の単数・属格。
est: 不規則動詞sum,esseの直説法・現在、3人称単数。
mensūra: mensūra,-ae f.(計ること、測定、寸法、長さ、量、程度、尺度、基準)の単数・主格。
ējusdem: 指示代名詞īdem,eadem,idem(同じ人、同じもの)の女性・単数・属格。mensūraにかかる。
orta: 形式受動態動詞orior,-īrī(昇る、起きる、生まれる、生ずる)の完了分詞、女性・単数・主格。mensūraと性・数・格が一致。
ex: <奪格>から
illīus: 指示代名詞ille,illa,illud(あれ、それ)の女性・単数・属格。densitāteにかかる。
densitāte: densitās,-ātis f.(密度、濃度、大量、豊富)の単数・奪格。
et: 「そして」。densitāteとmagnitūdineをつなぐ。
magnitūdine: magnitūdō,-dinis f.(大きさ、大きな広がり、大量、多量)の単数・奪格。
conjunctim: 共同して(副詞)

逐語訳

物質の(māteriae)量は(Quantitās)その(illīus)密度(densitāte)と(et)大きさ(magnitūdine)から(ex)生まれた(orta)それと同じものの(ējusdem)測定(mensutūa)である(est)。

感想と希望

ラテン語の文法通りに日本語に直せても、私には背景の物理学の知識が乏しく、適切な日本語訳を作ることができません。ラテン語は一語の持つ意味の幅が大きく、māteria一つをとっても何という日本語に直すとよいか、専門家でないと正しい答えを出すことはできません。いうまでもなく英訳を専門家が日本語に訳した方が、私がラテン語の原文を日本語に直すよりはるかに優れた翻訳ができると思います。理想は、物理学の専門家がラテン語の原文を日本語に直すことでしょう。私がラテン語学習のすそ野を広げたいと考える理由の一つがここにあります。

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この記事を書いた人

ラテン語愛好家。京都大学助手、京都工芸繊維大学助教授を経て、現在学校法人北白川学園理事長。北白川幼稚園園長。私塾「山の学校」代表。FF8その他ラテン語の訳詩、西洋古典文学の翻訳。キケロー「神々の本性について」、プラウトゥス「カシナ」、テレンティウス「兄弟」、ネポス「英雄伝」等。単著に「ローマ人の名言88」(牧野出版)、「しっかり学ぶ初級ラテン語」、「ラテン語を読む─キケロー「スキーピオーの夢」」(ベレ出版)、「お山の幼稚園で育つ」(世界思想社)。

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