otia (暇、オーティア)と vitia(悪徳、ウィティア)は発音すると語尾が揃っていて印象に残ります。otia は複数形ですが、単数は otium です。表題の格言は、Otium omnia vitia parit. (暇はあらゆる悪徳を生む)の形でも知られます。
otium の前に否定辞をつけたのが negotium (ネゴーティウム)で、「仕事」という意味になります。英語の negotiation(交渉)の語源です。
表題から「小人閑居して不善をなす」(「礼記」)という言葉を思い出す人もいるでしょう。ラテン語には「暇」を疎んじ勤勉を奨励する格言が少なくありません。
Abi ad formicam, o piger. (蟻の所へ去れ、怠け者よ)
Nihil agendo homines male agere discunt.(何もなさぬことにより人は悪行を学ぶ)
Otium multa mala adolescentes docet. (暇は若者に多くの悪を教える)
Otium ex labore (まず仕事、次に閑暇)
極めつきは次のセネカの言葉でしょう。
otium sine litteris mors est et hominis vivi sepultura. 文字なき閑暇は死、生きた人間の墓場。
もっとも「暇」と言ってもいろいろなレベルがあります。ラテン語には otium cum dignitate (品格を伴う閑暇)という言葉があります。セネカの言葉に当てはめると、otium cum litteris (文字を伴う閑暇)こそ人間として追求すべきものということになるのかもしれません。
実際「学校」を意味する英語の school の語源はギリシア語で「暇」を意味するスコーレーでしたし、ラテン語では「遊び」を意味する ludus が学校を意味しました。哲学の歴史を振り返ると、ギリシアのエピクーロス派の理想としたアタラクシア(平静な心)も otium と無縁ではないでしょう。
otium を「心のゆとり」ととらえ、この言葉を理想郷の代名詞に仕立てたのがウェルギリウスです。ウェルギリウスは『牧歌』の中でアルカディアの世界を特徴づけるキーワードの一つとしてotiumを用いました(続く『農耕詩』においても同様です)。
O Meliboee, deus nobis haec otia fecit.(Ecl.1.6) メリボエウスよ、神が私たちにこの閑暇を与えてくださったのだ。
amat bonus otia Daphnis. (Ecl.5.61) 立派なダプニスは閑暇を愛している。
昨今日本の社会では、「何もしない時間」をポジティブにとらえるのか、それをネガティブに捉えるのか、さまざまに意見が分かれます。同様に古代ローマでも otium(閑暇)を肯定する見方も否定する見方も両方あったと理解することができます。
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