Finem lauda.

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語彙と文法

「フィーネム・ラウダー」と読みます。
fīnem は「終わり」を意味する第3変化名詞 fīnis,-is c. の単数・対格です。c.はcommon genderの略語で男性名詞、女性名詞の両性で使われます。
laudā は「称える」を意味する第1変化動詞 laudō,-āre の命令法・能動態・現在、2人称単数です。「(あなたは)称えよ」を意味します。
ラテン語の命令法(・能動態・現在、2人称単数)は、基本的に不定法の語尾から-reを取った形です。
「終わりを称えよ」と訳せます。

言葉の解釈

音楽や演劇に関しては、幕が閉じるまで待って評価すべきであるという趣旨の格言です。

一歩進めて、人生に関しても、ある人物の正当な評価はその人の「終わり」すなわち「死」の後はじめて行えるというふうに解釈することも可能だと思います。

表題の言葉をはじめ、ラテン語には、「終わりが大切」という格言がいろいろあります。「終わりを考慮せよ」(Fīnem respice.)や「終わりが作品を飾る」(Fīnis corōnat opus.)など。作品(音楽や演劇も含む)の評価は最後まで待ってから行うべし、というのがこれらに共通するメッセージです。

ローマの詩人オウィディウスは、「結果が行為(の正しさ)を証明する」(Exitus acta probat.)という言葉を残しています(Her.2.85)。いわゆる「終わりよければすべてよし」という意味で使われます。文脈次第では、「どんなに批判されても、結果で行為の正しさを証明してみせるぞ」という気迫のこもった言葉と受けとめることも可能です。

ホラーティウスに、「毎日次のように言える者は、己れを制し、満足して人生を送ることができるだろう。『私は今日を生きた(vixi)』と」(Carm.3.29)という詩句があります。表題の「終わりを賞賛せよ」という言葉との兼ね合いでいえば、日々一日の終わりを賞賛して生きよ、そしてそれを毎日続けよ、と述べているように思われます。

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この記事を書いた人

ラテン語愛好家。京都大学助手、京都工芸繊維大学助教授を経て、現在学校法人北白川学園理事長。北白川幼稚園園長。私塾「山の学校」代表。FF8その他ラテン語の訳詩、西洋古典文学の翻訳。キケロー「神々の本性について」、プラウトゥス「カシナ」、テレンティウス「兄弟」、ネポス「英雄伝」等。単著に「ローマ人の名言88」(牧野出版)、「しっかり学ぶ初級ラテン語」、「ラテン語を読む─キケロー「スキーピオーの夢」」(ベレ出版)、「お山の幼稚園で育つ」(世界思想社)。

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