「農耕賛歌」冒頭を読む

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ウェルギリウス『農耕詩』第2巻458以下は「農耕賛歌」と呼ばれます。

Ō fortūnātōs nimium, sua sī bona nōrint,
agricolās! quibus ipsa procul discordibus armīs
fundit humō facilem uictum iustissima tellus. 460

<語釈>
Ō: 「おお、ああ」。感嘆を表す間投詞。
fortūnātōs: 第1・第2変化形容詞fortūnātus,-a,-um(幸福な、幸運な)の最上級、男性・複数・対格。agricolāsにかかる。
nimium=nimis: 「あまりに」。fortūnātōsにかかる副詞。
sua: 3人称の所有形容詞suus,-a,-umの中性・複数・対格。bonaにかかる。
sī: 「もしも」。
bona: bona,-ōrum n.pl.(財産)の対格。
nōrint=nōverint: noscō,-ere(知る)の直説法・能動態・未来完了、3人称複数。「もし(sī)知ってしまえば(nōrint)」。
agricolās!: agricola,-ae m.(農夫)の複数・対格。「感嘆の対格」。
quibus: 関係代名詞quī,quae,quodの男性・複数・与格。非制限用法。「彼らに、彼らのために」。
ipsa: 強意形容詞ipse,-a,-um(自ら、自身)の女性・単数・主格。tellusにかかる。
procul: <奪格>を離れて
discordibus: 第3変化形容詞discors,-cordis(不一致の、不和の)の中性・複数・奪格。armīsにかかる。
armīs: arma,-ōrum n.pl.(戦争、武器)の奪格。
fundit: fundō,-ere(豊富にもたらす)の直説法・能動態・現在、3人称単数。
humō: humus,-ī m.(地面)の単数・与格。funditの間接目的語。
facilem: 第3変化形容詞facilis,-e(容易な)の中性・単数・対格。uictumにかかる。
uictum=victum: victus,-ūs m.(食べ物)の単数・対格。
iustissima=justissima: 第1・第2変化形容詞justus,-a,-um(正しい、公正な)の最上級、女性・単数・主格。tellusにかかる。
tellus: tellus,-ūtis f.(大地)の単数・主格。

<逐語訳>
おお(Ō)あまりに(nimium)もっとも幸福な(fortūnātōs)農夫たちよ(agricolās)、もし(sī)自分たちの(sua)財産を(bona)知ってしまえば(nōrint)。彼らのために(quibus)もっとも公正な(iustissima)大地は(tellus)自ら(ipsa)不和の(discordibus)戦争(armīs)から離れて(procul)地面に(humō)容易な(facilem)食べ物を(uictum)豊富にもたらす(fundit)。

<メモ>
ルクレーティウスの次の行との関連に注目。Ō miserās hominum mentēs, ō pectora caeca! Lucr.2.14(おお惨めな人間の精神よ、おお盲目の心よ。)この行の韻律は、DDSSDD。ウェルギリウスの行(458)は、SSDDDDで対比的。ルクレーティウスは人間の否定的側面を嘆くのに対し、ウェルギリウスは肯定的側面を称えている。

他方、ルクレーティウス同様、ウェルギリウスも富と名声を求めて争う人間の心を否定的に描く。ルクレーティウスはエピクーロス哲学が心の平安をもたらすとする。ウェルギリウスもこの哲学の理想アタラクシア(苦しみ・不安のない心)をsēcūra quiēsと表現(467)。ただし哲学でなく、農夫のlaborがそれをもたらすとしている点で独創的(「アエネーイス」では農夫のlaborを英雄のそれと置き換える。つまり「アエネーイス」にも継承される姿勢)。

ウェルギリウスにとってルクレーティウスの主張は傾聴に値する部分と、共感できない部分とに分かれている。「苦しみ、不安がなければ人は幸福と言えるのだろうか。そもそも人が生きるうえで、苦しみ、不安をゼロにできるのだろうか」(ルクレーティウスはエピクーロス哲学がこれを可能にすると主張)。この問いはウェルギリウス独自のものでルクレーティウスには見られない。

農夫の生活には否定的要素が「ない」から幸福とされるだけでなく(461-466)、467のat以下の部分では、幸福の要素として農夫の生活に豊かに「ある」ものが列挙されている。これらの「ある」要素は、敬神(pietas)に裏打ちされた農夫の労働(labor)がもたらすものである。このpietās(敬神)は、ルクレーティウスがlabor(労働、苦しみ)と並んで否定的に描く要素であり、両者の立場の相違をいっそう鮮明にする。

ウェルギリウスにおいて、ユピテルは人間の精神が老化しないようlaborを与えたとされる(第1巻129以下の「ユピテルの意志」と呼ばれるエピソードにて)。人間は精神を活性化させ、様々な技術を見出し、文明国家ローマを建設した。このくだりはルクレーティウス第5巻の記述を下敷きにしているが、ウェルギリウスはユピテルの意志の反映を認めるのに対し、ルクレーティウスは人間の欲望がその原動力となっていることを示す。

このような両者の立場の相違を念頭に置くとき、つづく475-494に見られる両者の幸福観の対比は唐突には思われない。

なお「アエネーイス」第1巻末の「イオーパースの歌」(Aen.1.740以下)との関連にも注目。478 defectus…laboresとAen.1.742、481-482とAen.1.745-746の関連。他方で、477以下の表現において、478はLucr.5.751、479はLucr.6.577以下、482はLucr.5.699と表現のつながりが認められる(Williams)。

ウェルギリウス

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この記事を書いた人

ラテン語愛好家。京都大学助手、京都工芸繊維大学助教授を経て、現在学校法人北白川学園理事長。北白川幼稚園園長。私塾「山の学校」代表。FF8その他ラテン語の訳詩、西洋古典文学の翻訳。キケロー「神々の本性について」、プラウトゥス「カシナ」、テレンティウス「兄弟」、ネポス「英雄伝」等。単著に「ローマ人の名言88」(牧野出版)、「しっかり学ぶ初級ラテン語」、「ラテン語を読む─キケロー「スキーピオーの夢」」(ベレ出版)、「お山の幼稚園で育つ」(世界思想社)。

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