第4巻におけるディードーのセリフです。
quo ruit? extremum hoc miserae det munus amanti: 429
exspectet facilemque fugam uentosque ferentis. 430彼はどこに向かって走るのか。これを最後の贈り物として哀れな恋人に授けてくれ。
追い風を受けてたやすく去りゆける時まで待ってほしい。
429
惨めな恋人とはディードー本人のこと。miserae…amantiは女性・単数・与格。
hoc(これを)extremum(最後の) munus(贈り物として)det(彼に与えさせよ)とは、430行の内容を彼が認めることを指す。
意訳としては、「この願いを最後の贈り物として・・・かなえてくれ」とでも。
detは接続法・能動態・現在、3人称単数。
430
直訳は、「容易な(facilem)逃亡と(fugam)(艦隊を)運ぶ(ferentis)風を(uentos)彼には待たせよ(exspectet)」。
現在分詞ferentisはuentosにかかる男性・複数・対格。
exspectetは接続法・能動態・現在、3人称単数。
non iam coniugium antiquum, quod prodidit, oro, 431
nec pulchro ut Latio careat regnumque relinquat: 432彼が裏切った結婚は昔の話。もうわたしは求めはしない。
麗しきラティウムはなくてよい、王国は見捨てよ、などはいわない。
431
直訳は、「今は(iam)かつての(antiquum)結婚を(coniugium)――それを(quod)彼は裏切った(prodidit<prodo)のだが――懇願しない(non…oro.)」。
432
oro (431) を補い、utの導く名詞節がその目的語であると考える。「oro+ut+接続法」で、「ut以下のように私は懇願する」。
「麗しい(pulchro<pulcher)ラティウムを(Latio<Latium)彼が欠くように(ut…careat<careo)、また、王国を(regnum)見捨てるように(ut…relinquat<relinquo)」。
careatとrelinquatはともに接続法・能動態・現在。
tempus inane peto, requiem spatiumque furori, 433
dum mea me uictam doceat fortuna dolere. 434わたしはただ無為の時を求めている。狂おしい気持ちを鎮める時がほしい。
その間にわたしは運命から学べよう、破れた者は悲しみに耐えねばならぬことを。
433
tempus inane (<inanis) はともに中性・単数・対格でpetoの目的語。
requiemはrequiesの単数・対格(requietemの別形)。spatiumとともにpetoの目的語。
furoriはfurorの単数・与格。「furorのためのspatium」と解す。
434
「私の(mea)運命が(fortuna)破れた(uictam)私に(me)苦しむことを(dolere<doleo)教える(doceat<doceo)間に(dum)」。
dumの節を従属文とみなすのが基本。例文として、Dum loquor, hora fugit.(わたしがおしゃべりする間、時は逃げる」。
上の訳は、主文と従属文の内容が同時に行われる事柄と判断した上での意訳。
extremam hanc oro ueniam (miserere sororis), 435
quam mihi cum dederit cumulatam morte remittam.’ 436これを最後の望みとして願う。姉を憐れんでくれ。
これをかなえてくれたなら、死に際して何倍にもして礼を取らせよう」。
435
「これを(hanc)最後の(extremam)恩恵として(ueniam)私は願う(oro)」。
miserereはmisereorの命令法・現在、二人称単数。属格(sororis<soror)を取る。
miserere sororisが( )に入れられるのは、この内容(姉を憐れめ)がディードーのいう「最後の望み」ではないことを示すため。
「このような願い事をする私はなんと愚かな女であることか、そんな姉を憐れんでくれ」というのである。
436
quamは前の行のueniamを指す。ここでは指示代名詞eamの代わりとして使われている。
dederitはdo(与える)の直説法・能動態・未来完了、三人称単数と解する(接続法・能動態・完了ともとれるが、従属文で接続法を用いる場合、主文が第一時称で、内容的に「同時」の場合「現在」となる)。
remittamはremitto(返す)の接続法・能動態・現在。意思を表す。
「彼がそれを(quam)私に(mihi)与えてしまう時(cum dederit)、私は(1)死に際して(2)死によってそれを(quam=ueniam 恩恵)積み上げられた状態にして(cumulatam<cumulo=何倍にも増やして)返そう(remittam<remitto)」。
morsの奪格morteは(1)、(2)両方の解釈が可能。
(1)だと願いをかなえてくれてもすぐには死なない。最後に息を引き取る際、たとえば遺言の形で莫大な財産を授けようというくらいの意味か。(2)だと願いがかなうと自分は死ぬといっているかのようだ。自分の死が相手にとってこの上ない感謝の返礼を意味する、というのも妙な話。だが、実は後の展開から見て、(1)、(2)どちらともとれる曖昧さに深い意味がある(今ここでこのことにふれる余裕はないが)。
以下は岡道男、高橋宏幸訳。参考までどうぞ。
「どこへ突き進むのか。哀れな愛を抱く女への最後の贈り物に、こうしては
もらえまいか。
たやすく去り行けるよう追い風の吹くまで待ってほしい。
もはや結婚は過去のもの。あの男が裏切ったもの、それをわたしは願わぬ。
美しいラティウムを見限り、王国を見捨てよ、とは言わぬ。
ただ、空しく過ぎる時間が欲しい、狂おしい熱情を鎮める間が欲しい。
そのあいだに、これがわが運、敗れた心は痛みを負うものと学べようから。
このことを最後の頼みとして願う、哀れな姉ではないか。
この頼みが聞き届けられたなら、わたしの死が幾倍にもして返礼しよう」。
アエネーイス (西洋古典叢書)
ウェルギリウス 岡 道男