語彙と文法
「ウェーリー・アミーキー・ラーリー」と読みます。
vērīは、第1・第2変化形容詞 vērus,-a,-um(真の) の男性・複数・主格です。amīcīにかかります。
amīcī は amīcus,-ī m.(友)の複数・主格で文の主語です。
rārī は 第1・第2変化形容詞rārus,-a,-um(珍しい)の男性・複数・主格です。文の補語です。
動詞suntが省略されています。suntは不規則動詞sum ,esse(である)の直説法・現在、3人称複数です。
英語の語順にならってsuntを補うと、Vērī amīcī sunt rārī.(True friends are rare.) です。
「真の友はまれである。」と訳せます。
日本語も「真の友はまれ。」と動詞を省いて訳すことも可能です。その方が格言的な感じがします。
真の友はまれ
友情に関する議論は古来絶えることがありません。キケローの『友情について』(De Amicitia)は最古の友情論の一つであり、その中に表題の言葉が出てきます。
この作品には「真の友は第二の自己である」、「すぐれた人物の間以外には友情はありえない」、「確かな友は不確かな境遇の下(もと)で知られる」といった言葉も見られます。
ところで愛(アモル)と友情(アミーキティア)は語源としてつながっているとキケローは言います。
amor, ex quo amicitia nominata, princeps est ad benevolentiam conjungendam, Cic. Am. 8, 26
友情(アミーキティア)のという名の元になった愛(アモル)こそ、人々の好意を結びつける原動力なのだから。(中務哲郎訳)
損得計算抜きに互いを敬愛すること(アモル)から友情が生まれると述べています。
一方、友人は「alter ego (もうひとりの私)」という言い方もなされます。
Est enim amicus qui est tamquam alter idem.
なぜなら、友人とはいわばもう一人の自分自身なのだから。キケロー
友人とは、自分を映し出す鏡であるというわけです。鏡といえば、機嫌の悪いときは見るのも嫌になります。自分の心の弱さ、醜さを直視するよう促すから。鏡の自分同様、友人とは気持ちよくつきあいたいものです。
コメント
コメント一覧 (2件)
[…] のほうが、主語を擬人化した感じがよく出ていると思います。 Veri amici rari. […]
[…] Vērī amīcī rārī.(真の友はまれ)・・・いずれも男性・複数・主格。 […]