「スント・ラクリマエ・レールム・エト・メンテム・モルターリア・タングント」と読みます。
sunt は「~がある」を意味する不規則動詞 sum,esse の直説法・現在、3人称複数です。
主語は lacrimae です。「涙」を意味する第1変化名詞 lacrima,-ae f. の複数・主格です。
rērum は「物、事、出来事」を意味する第5変化名詞 rēs,reī f. の複数・属格で lacrimae にかかります。
mentem は「心」を意味する第3変化名詞 mens,mentem f. の単数・対格です。
mortālia は「人間の、人間に関わる」を意味する第3変化形容詞 mortālis.-e の中性・複数・主格です。ここでは名詞的に用いられています。
tangunt は「触れる」を意味する第3変化動詞 tangō,-ere の直説法・能動態・現在、3人称複数です。
「歴史への涙がある。人間の出来事は心(の琴線に)触れる。」という意味です。
ウェルギリウスの『アエネイス』に出てくる表現です。
岡・高橋訳では、前後関係も考慮に入れ、「ここにも人の世に注ぐ涙があり、人間の苦しみは人の心を打つ。」となっています。
背景の説明は、こちらをどうぞ。>>「はかなきは人の世の営み」
アエネーイス (西洋古典叢書)
ウェルギリウス 岡 道男
コメント
コメント一覧 (3件)
山下園長どの
かりんの父のHijino Kenです。娘がいつもお世話になっています。 ひょんなことで、小津安二郎の「浮き草」の批評を読んでましたら→英語でmono no awareと表現されていましたので、それを英語で検索してみましたら→ wikiでlacrimae rerumが紹介されていまして、その表現に興味をもったので、それをグーグルしたら→山下先生のリンクにたどりつきましてびっくりしました。
奇遇というか、世の中面白いように情報がつながっていますね。
ということで、コメントを入れました。別に特に意味がありません。
mundus mirabilis と表現するべきでしょうか。(正しい表現なのかわかりませんが、わたくしも高校時代3年間ラテン語を勉強いたしました!)
ヒジノ
ここでお会いするとは(笑)。私もmono no awareを調べてみました。たしかにlacrimae(涙)とaware、mono no と rerum(=ものの)はうまく対応しますね。
[…] Sunt lacrimae rerum et mentem mortalia tangunt. ウェルギリウス『アエネイス』1.462 […]