「インキペ・ディーミディウム・エスト・ファクティー・コエピッセ」と読みます。
incipe は「始める」を意味する第3変化動詞 incipiō,-pere の命令法・能動態・現在、2人称単数です。「始めよ」と訳せます。
dīmidium は「半分」を意味する第2変化名詞dīmidium,-ī n.の単数・主格です。
factī は「事柄、事業、業績」を意味する第2変化名詞 factum,-ī n. の単数・属格で、dīmidium にかかります。
coepisse は「始める」を意味する不完全動詞 coepī,-pisse の不定法・能動態・完了です。「始めたこと」を意味します。
「始めよ。始めたことが業績の半分だ(始めたことが事を成し遂げる道の半分にあたる)。」という意味になります。
「着手せよ。始めさえすれば仕事の半分は片付いている」などと意訳してもよいでしょう。
とくにラテン語の学習について、これは言えるのではないかと思います。
出典はホラーティウスの『書簡詩』です(Ep.1.2.40)。
実際のテキストは次の通りです(Ep.1.2.40-41)。
Dīmidium factī, quī coepit, habet; sapere audē, 40
incipe.
「始める(coepit)ところの(quī)人は(<is>)事柄の(factī)半分を(Dīmidium)持つ(habet)。あえて賢明であるようにせよ(sapere aude)。始めよ(incipe)」。
sapereはsapiō,-pere(賢明である)の不定法・能動態・現在です。
audeはaudeō,-ēre(あえて~する)の命令法・能動態・現在、2人称単数です。
sapereは文脈に照らすと、倫理的に正しく生きること、哲学的に思慮深く生きることです。sapere audē.とは「本気で賢く生きる決心をせよ」という呼びかけです。
直前までで、ホラーティウスは、「理屈をこねてばかりで行動しない者」を批判しています。「徳や知恵について議論するだけでは足りない」、「実践に移らなければならない」、「逡巡する者は、すでに敗れている」という流れで、上の表現が来ます。
sapereは哲学することを意味し、勇気を出してその実践に踏み出せ、と詩人は助言します。我々の感覚だと、「哲学すること」イコール「理屈をこねてばかりで行動しないこと」だと誤解しがちですが、ホラーティウスにとって、「哲学すること」とは「正しく生きる」実践にほかなりません。
哲学を行うには勇気がいります。自己欺瞞をやめる必要があります。怠惰を捨てる必要があります。染みついた習慣を捨てる必要もあります。audē(あえて~せよ)はその勇気ある一歩を踏み出すように促す言葉です。
文脈を整理すると次のようになります。
- 始めた人はすでに半分持っている。
- 本当に賢く生きたいのであれば勇気を出して一歩踏み出せ。
- そして今すぐ始めよ。
この詩簡は、若者ロリウスに宛てて書かれたもので、ホメーロスから倫理を学べという趣旨で進みます。
ここでホラーティウスは、
オデュッセウスは単なる冒険譚の主人公ではない
彼は「生きる知恵」を体現する人物である
と読み替えます。
ホラーティウスは、トロイア戦争の英雄アキレウスよりも、放浪し苦難を耐え抜くオデュッセウスを高く評価します。
理由は明確です。
知恵(sapientia)と忍耐(patientia)を備えているから。
つまり、オデュッセウスは sapere の実例 なのです。
オデュッセウスは、
- 快楽の誘惑(キルケー、カリュプソー)を退け
- 危険を見極め
- 長期的視野を持ち
- 故郷へ帰還する
人物です。つまり、
sapere aude = オデュッセウス的に生きる勇気を持て
と解釈できます。
上のincipe.の続きはこうです。
Viuendi qui recte prorogat horam,
rusticus expectat dum defluat amnis; at ille
labitur et labetur in omne uolubilis aeuum.
正しく生きる時間を先延ばしにする者は、
川の水がすべて流れ去るのを待つ農夫のようなものだ。
だが川は流れ続け、永遠に流れを止めることはない。
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