エッセイ

videre est credere. 見ることは信じること(再)

videre est credere. 見ることは信じること

表題のバリエーションとして、Vide et crede. (見よ、そして信じよ)というのもあります。日本語に「百聞は一見にしかず」ということわざがありますが、ラテン語にも似た言い回しが見つかります。

pluris est oculatus testis unus quam auriti decem.
目で見た一人の証人は、耳で聞いた十人の証人より値打ちがある。
(プラウトゥス、『トルクレンティス』)

同じ趣旨の言葉は他にもあります。「心の目は、耳で聞いたことよりも目で見たことの方に、容易に引きつけられる」(キケロー、『弁論家について』)、あるいは、「耳から入ってくるものは、目の前に差し出され(て人が見)るものほど、心に強くはたらきかけない」(ホラーティウス、『詩論』)などです。

一方、人は「見る」ことで安心し、騙される場合もあります。Fallaces sunt rerum species.(事物の外観は人を欺く)はこのことに注意を向ける格言です。見ることは大切、ただし本質を見る目がもっと大切ということになります。 Lupus pilum mutat, non mentem. (狼は毛を変えても心は変えない)や、Barba non facit philosophum. (髭は哲学者を作らない)といった格言は、このあたりの注意を喚起します。

われわれは自分が上辺に騙されないよう注意するだけでなく、自分自身が中身を充実させるように努めたいものです。その意味を込めたラテン語としては、Esse quam videri (見られるより実際にそうであること)があります。これはノース・カロライナ洲のモットーですが、世界各地の高校や大学の校訓にも採用されています。

同じ趣旨の言葉は、キケローをはじめ、ギリシアの作品にも認めることができますが、表現そのものは、esse quam videri bonus malebat. (彼は立派に見えるより立派な人間であることを望んだ)というサルスティウスの表現に由来します(文中の「彼」は「小プリニウス」を指します)。マキャベリは、『君主論』の中でこの表現をひねり、Videri quam esse (実際にそうであるよりそう見られること)が君主にとって重要であると喝破しました。

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