De te fabula. 自分の話と受け止めよ

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De te fabula. デー・テー・ファーブラ 自分の話と受け止めよ

夏目漱石の『三四郎』に、「ダーターファブラ」の表記で出てくる言葉。ローマの詩人ホラーティウスの詩に出てくる表現です(Sat.1.1.69)。

直訳は、「その話はおまえに関するものである」となります。ホラーティウスは、例に出したエピソードを聞いて笑い出した相手に、「なぜおまえは笑うのか?名前を替えれば、この話はおまえのことを語っているのに(Mutato nomine de te fabula narratur.)」と言います。他人ごとではない、自分についての物語が語られているのだぞ、というメッセージです。

ホラーティウスがふれたのは、地獄で永久に飢えと渇きに苦しめられる王の話。目の前に食べたいもの、飲みたいものがあっても手が届かず、口にすることもできない・・・。神話の伝えるこの厳罰を通じ詩人が皮肉ったのは、話相手の貪欲な性根です。山のように積み上げられた穀物袋。でも、それは財産の一部なので、あなたは手で触れることも食べることもしない・・・。神話の王といっしょだ、というわけです。

詩人は言います、あなたの腹はわたしと同じ分量しか食べられないのだ、と。生きる上で必要な量はたかが知れており、それ以外は全部余分。多くても少なくても何も違わない。むしろ多ければ多いほど、それを失わないかと心労が募るだけ。要は「欲望に限度を定めよ」というのがホラーティウスの主張でした。何事にも節度が大切。この詩人が繰り返し伝えるメッセージです。

ホラティウス全集
鈴木 一郎

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この記事を書いた人

ラテン語愛好家。京都大学助手、京都工芸繊維大学助教授を経て、現在学校法人北白川学園理事長。北白川幼稚園園長。私塾「山の学校」代表。FF8その他ラテン語の訳詩、西洋古典文学の翻訳。キケロー「神々の本性について」、プラウトゥス「カシナ」、テレンティウス「兄弟」、ネポス「英雄伝」等。単著に「ローマ人の名言88」(牧野出版)、「しっかり学ぶ初級ラテン語」、「ラテン語を読む─キケロー「スキーピオーの夢」」(ベレ出版)、「お山の幼稚園で育つ」(世界思想社)。

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