Vis recte vivere? 汝正しく生きることを欲するか
表題はホラーティウスの詩句に見られる言葉です。次のように続きます。
Quis non? si virtus hoc una potest dare, fortis omissis hoc age deliciis. Hor.Ep. I,6,29
だれが望まないだろうか。もし美徳だけがこれを与えうるのなら、快楽を捨て力強くこれをなせ。
hoc (これ)とは表題の recte vivere (正しく生きること)を指します。ホラーティウスにとって recte vivere とは「黄金の中庸」(aurea mediocritas)を尊ぶことと無関係ではありませんでした。この「黄金の中庸」はどのような文脈で用いられた言葉なのでしょうか。原文の訳をご紹介します。
あなたはもっと正しい生き方ができるだろう、リキニウスよ、大海に
いつも迫ることをしなければ、あるいは嵐に対し
用心しすぎて震え上がり、危ない岸にあまりにも
船を寄せすぎることがなければ。黄金の中庸を尊ぶ者は誰でも、
あばら屋の汚れを知ることもなく
安全である一方、人の羨む邸宅からも、
冷静なまま無縁でいられる。巨大な松の木は、風に揺さぶられることが
甚だしく、そびえ立つ塔はいっそう激しく
崩れ落ち、稲妻も、山のてっぺんを
打ちつける。物事をよく心得た胸は、今とは別の運を
不幸の中では願い、幸運の中では恐れる。
ユピテルは、惨めな冬をもたらすが
その同じ神が取り除いてもくれる。たとえ今不幸でも
いつまでもそうではない。アポローも時おり
沈黙したムーサの目を覚ます。いつも弓を
張り続けているわけではない。苦難には、勇気を持って
雄々しく振舞いたまえ。同じく賢明になって、
あまりに順調な風に対しては、
膨らみすぎた帆を畳むのがよい。 (ホラーティウス『詩集』第二巻10番)
この詩の1行目の出だしは、Rectius uiues, Licini, となっており、表題のラテン語 vis recte vivere?と言葉の面で対応しています。「正しく生きる」とは、「黄金の中庸」を尊ぶことにほかなりません。平たく言えば、万事につけ節度を弁えることと言い換えてよいでしょう。そこにアリストテレスに代表されるギリシア哲学の影響を見ることもできますが、人によっては東洋的な視点を読み取ることもできそうです。