エッセイ– category –
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愛されたいなら、愛しなさい:セネカ
Sī vīs amārī, amā. 愛されたいなら、愛しなさい セネカの言葉です(「倫理書簡集」9.6。文法の説明はこちら)。Sī (もしも)をとった形、Vīs amārī? Amā. でも知られます。この場合、「愛されたいか。では愛せ」となります。 amārī は不定法で「愛される... -
ラテン語を学ぶ意義
先日のラテン語の夕べではあえて「翻訳することの大事さ」を述べました。語学の習得という目的に絞って言えば、カエサルやキケローを暗唱するなどして音の響きも何もかも自分のものにできたらよいのでしょう。 一方、私たちが普通にラテン語を学ぶ場合、一... -
できると思うからできる
できると思うからできる(Possunt quia posse videntur.) いろいろな場面で心の支えになりそうな言葉です。 元はウェルギリウスの叙事詩『アエネーイス』にみられる表現です。船による競技が最大の盛り上がりを見せる場面で、勝利を確信して全力を尽く... -
Hodie mihi, cras tibi.今日は私に、明日はあなたに
まるで謎かけのような言葉です。パッと見てすぐに意味がわかりません。じつは、これは墓碑銘に刻まれる言葉で、注意を引くためか、わざと言葉が省かれています。主語に 「死」(モルス)を補ってみてください。「今日は私に、明日はあなたに死が訪れる」と... -
In oculis animus habitat. 目に心は宿る
In oculis animus habitat.これは大プリーニウスの言葉です。「目は心の窓」や「目は口ほどにものを言う」など、日本語にも似た表現があります。時代や国が違っても、考えること、感じることは同じです。 目は感覚器の一つですが、体の他の部分と異なる不... -
もたず、求めず、気をもまず
Nec habeo nec careo nec curo. もたず、求めず、気をもまず 英国の詩人の座右の銘として知られますが、 三つの否定文による格言としては、日本語にも「見ざる、聞かざる、言わざる」などがあります。日本語同様、このラテン文も語調がよいです。必要以上... -
Barba non facit philosophum. 髭は哲学者をつくらない
Barba non facit philosophum.というラテン語があります。「髭は哲学者をつくらない」と訳せます。 見かけ倒しを戒める警句です。「私は髭とマントを見るが哲学者は目にしない」というゲッリウス(ローマの著述家)の表現が元になっています。 ゲッリウス... -
Ubi sunt? 彼らは何処
Ubi sunt? ウビ・スント 彼らは何処 亡くなった人に思いを馳せる慣用句です。「彼らは今どこにいるのか。もうこの世にはいない」と意訳できます。彼らとは誰か?それはこの言葉をつぶやく一人一人が自分の心の中で決めることになります。天に召された肉... -
De te fabula. 自分の話と受け止めよ
De te fabula. デー・テー・ファーブラ 自分の話と受け止めよ 夏目漱石の『三四郎』に、「ダーターファブラ」の表記で出てくる言葉。ローマの詩人ホラーティウスの詩に出てくる表現です(Sat.1.1.69)。 直訳は、「その話はおまえに関するものである」と... -
Ora et labora. 祈れ働け
Ora et labora. オーラー・エト・ラボーラー 祈れ働け ベネディクト会のモットーです。ゆっくりと「オーラー・エト・ラボーラー」と発音してみてください。音の響きが重なりあい美しく聞こえます。 オーラーが「祈りなさい」、ラボーラーが「働きなさい...