Semper avarus eget.

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語彙と文法

「センペル・アウァールス・エゲト」と発音します。
semper は「常に」を意味する副詞です。
avārusは第1・第2変化形容詞avārus,-a,-umの男性・単数・主格です。ここでは名詞的に使われています(形容詞の名詞的用法)。
「貪欲な」という意味を持ちますが、ここでは「貪欲な者は」という意味で使われています。
対応する動詞 egetはegeō,-ēre(欠乏する)の直説法・能動態・現在、3人称単数です。
「貪欲な者は常に欠乏する」と訳せます。
ホラーティウスの言葉です。(『書簡詩』1.2.56)

ホラティウス全集
鈴木 一郎

<余談>
ラテン語の文学には、この逆説を鋭く言い表した言葉が数多く見られます。セネカはこう述べています。

nōn quī parum habet, sed quī plūs cupit, pauper est.
「わずかしか持たぬ者でなく、多くを望む者が貧しい。」
(Sen. Ep. 2.6)

持っている量ではなく、望んでいる量が、豊かさと貧しさを分けるというのです。

プブリリウス・シュルスも、
Avārus ipse miseriae causa est suae.
「貪欲な者は、自ら自分の不幸の原因となる。」と述べています。

ホラーティウス自身も別の作品で、次のように歌っています。

multa petentibus
dēsunt multa; bene est cuī deus obtulit
parcā quod satis est manū.
「多くを求める者には、多くのものが足りない。神が控えめな手で授けたもので満足する者は幸いである。」
(Hor. Carm. 3.16.42–44)

とりわけ、

multa petentibus dēsunt multa.
「多くを求める者には、多くのものが足りない。」
という一句は、それだけで一つの格言のように響きます。

Semper avārus eget.
「貪欲な者は常に欠乏する。」
その裏返しとして浮かび上がってくるのが、「足るを知る」という教えです。豊かさとは、どれほど多く持っているかではなく、どこで「十分」と言えるかによって決まるのかもしれません。

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この記事を書いた人

ラテン語愛好家。京都大学助手、京都工芸繊維大学助教授を経て、現在学校法人北白川学園理事長。北白川幼稚園園長。私塾「山の学校」代表。FF8その他ラテン語の訳詩、西洋古典文学の翻訳。キケロー『神々の本性について』(岩波書店)、ネポース『英雄伝』(講談社学術文庫)、プラウトゥス『カシナ』、テレンティウス『兄弟』、ルクレ―ティウス『事物の本性について』(いずれも京都大学学術出版会)。単著に『ローマ人の名言88』(牧野出版)、『しっかり学ぶ初級ラテン語』、『しっかり身につくラテン語トレーニングブック』、『ラテン語を読む─キケロー「スキーピオーの夢」』(いずれもベレ出版)、『お山の幼稚園で育つ』(世界思想社)。

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