ラテン語講習会では、ラテン語学習の「三つの道具」について説明しています。それは次の3つです。
1:教科書
2:辞書
3:翻訳
たとえば、Omnis ars naturae imitatio est. Sen.Ep.65.3を読む場合を考えてみましょう。
1と2の道具だけで、「すべてのarsは自然の模倣である」とまでは訳せますが、arsがどういう意味で使われているかはわかりません。
元のセネカの文脈を調べると、「芸術」と訳すべきことがわかります。
Carpe diem.(1日を摘め)もそうですが、1と2だけでは個々のセンテンスを通して作者が何を伝えたいのか、腑に落ちないことがあります。いわゆる「正しく訳せても意味がわからない」といったケースです。
そのような場合は、英訳も含め、翻訳をチェックするとよいでしょう。前後の流れがわかれば、「なるほど」と思えること請け合いです。
出典を調べるうえで、The Latin Libraryは情報の宝庫です。作家別にテクストへのリンクが整理されています。
たとえばウェルギリウスの『アエネーイス』第1巻1行目を調べてみましょう。
まず作家名として右下のVergilを選びます。
1番上にあるAENEID(『アエネーイス』の英語名)の左端 AeneidⅠを選びます。
1行目の Arma virumque canō, Trōiae quī prīmus ab ōrīs にたどり着くことができました。
翻訳として次のものがあります。
アエネーイス (西洋古典叢書)
ウェルギリウス 岡 道男
該当箇所の訳は、「戦いと勇士をわたしは歌う。この者こそトロイアの岸から初めて / イタリアへと運命ゆえに落ち延びた。」となっています。ラテン語と日本語をつきあわせると、「戦い(Arma)と(-que)勇士を(virum)わたしは歌う(cano)。この者こそ(qui)トロイアの(Troiae)岸(oris)から(ab)初めて(primus)」となることがわかります。じつに原文に忠実な訳になっています。
一方、2行目の「イタリアへと運命ゆえに落ち延びた。」の部分に対応するラテン語は、Ītaliam fātō profugusだと見当が付きます。ラテン語と日本語訳を照合すると、「イタリアへと(Ītaliam)運命ゆえに(fātō)落ち延びた(profugus)。」となります。
この照合作業はいつもうまくいくとは限りません。今見た例は原文に忠実に訳されているケースであり、ふつうは言葉を補い意訳がほどこされます。そうなると、今のようにラテン語と日本語をうまく付き合わせることが困難です。
ラテン語と翻訳の「ずれ」は「ずれ」として受け止め、学習者としてはあえて「直訳」を作ることをお勧めします。それには上で挙げた「三つの道具」を使いこなせるだけの「文法の理解力」と「日本語の力」が必要になります。後者は人並みに備わっているとすれば、残る課題は前者です。教科書を使っての学習はそのために不可欠です。
回りくどい話をかきましたが、道具をきちんと備えたうえで、文法学習に精を出してください。逆に言えば、文法学習を進めるうえで、その到達度を自己診断する意味も込めて、原文読解に挑戦するのはよいやり方です。
文法を学びながら、早い段階で原文講読にも挑戦するということです。
ちなみに、私が開いている「ラテン語講習会」では、各自が原文の正確な直訳を作るお手伝いをするものです。コツがわかれば自力で(=自分で「三つの道具」を使いこなしながら)様々なラテン語の原文講読に挑戦できるでしょう。
私はその橋渡しをしたいと願っています。その気持ちを込めて次の3冊を書きました。
ローマ人の名言88
山下 太郎
しっかり学ぶ初級ラテン語 (Basic Language Learning Series)
山下 太郎
しっかり身につくラテン語トレーニングブック (Basic Language Learning Series)
山下 太郎
これらも広い意味で「道具」に当たると思います。上から順に、ラテン語の例文集、教科書、問題集です。
最後に(究極の?)講読用の教材を紹介します。
原文の一字一句すべて(etに至るまで)に文法的解説を施し、逐語訳もつけてあります。これさえあれば、「ラテン語を読む」経験を一人で十分に堪能できるでしょう。