Cui placet obliviscitur, cui dolet meminit.

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ギリシア・ローマ名言集

「クイー・プラケト・オブリーウィースキトゥル・クゥィー・ドレト・メミニト」と読みます。
cuī は関係代名詞、男性・単数・与格です。与格になるのは、非人称動詞 placet の補語(placet は与格を支配)になっているからです。
placet はplaceō,-ēre(好ましい)の直説法・能動態・現在、3人称単数です。元来「喜ばせる」という意味を持ちますが、ここでは非人称表現となり、「状況がその人を喜ばせる」=「喜ぶ、嬉しく思う」という意味になります。
先行詞(男性・単数・主格)が省略されています。placet とあわせると、「喜ぶ人は」、「嬉しく思う人は」となります。
obliviscitur は、「忘れる」を意味する形式受動態動詞(デポーネント)obliviscor,-scī の直説法・現在、3人称単数です。
前半の訳は、「喜ぶ人は忘れる」となります。
後半の cui の導く動詞 dolet は「悲しむ」の意味を持つ第2変化動詞 doleō,-ēre の直説法・能動態・現在、3人称単数です。非人称的に用いられ、「悲しむ状況がある」を意味します。
後半の主語は「その人にとって(cuī)悲しむ状況のある(dolet)ところの人は」と訳せます。
後半の述語は meminit (覚えている)ですが、これは完了時制でしか現れない動詞meminī,-isseの直説法・能動態・完了、3人称単数です。「覚えている」と訳してよいです。
全体をまとめると、「喜ぶ人は忘れ、悲しむ人は覚えている。」という意味になります。
キケローの言葉です(ムーレーナ弁護演説42) 。

『ギリシア・ローマ名言集』の和訳

『ギリシア・ローマ名言集』16の訳をご紹介します。

喜んだ人は喜びの種を忘れるが、悲しんだ人は悲しみの種を忘れない。(柳沼訳)

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この記事を書いた人

ラテン語愛好家。京都大学助手、京都工芸繊維大学助教授を経て、現在学校法人北白川学園理事長。北白川幼稚園園長。私塾「山の学校」代表。FF8その他ラテン語の訳詩、西洋古典文学の翻訳。キケロー「神々の本性について」、プラウトゥス「カシナ」、テレンティウス「兄弟」、ネポス「英雄伝」等。単著に「ローマ人の名言88」(牧野出版)、「しっかり学ぶ初級ラテン語」、「ラテン語を読む─キケロー「スキーピオーの夢」」(ベレ出版)、「お山の幼稚園で育つ」(世界思想社)。

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