Tacens vocem verbaque vultus habet. 沈黙した顔は声と言葉を持つ

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オウィディウスの詩句です。無言の表情は雄弁だという逆説です。なぜ無言なのでしょうか。悲しいのか、怒っているのか、それとも感動しているのか。この一文だけでは何もわかりません。いろいろ解釈できる余地が残っています。

これは『恋の技法』の中に見られる言葉です。原文では、言葉を用いずに意中の女性に自分の気持ちを伝えるあの手この手が語られています。ただ、この表現が有名になったのはこの背景に意味があるためではなく、沈黙が言葉を持つという逆説が印象的だからでしょう。日本語の「目は口ほどにものを言う」という言葉が印象深く感じられるのと同じです。

沈黙は人間の様々な気持ちを代弁します。テレンティウスの喜劇には「彼らは黙っている。彼らは十分称賛している」という台詞があります。相手が言葉で表せないほど称賛の気持ちを表している、という意味になります。

これも原文から離れていろいろ解釈できます。たとえば「選挙に行かない人達は政治的に沈黙している。それは政治の現状を称賛しているからだ」という具合にです。

文学作品に由来する格言は、元の文脈も大切ですが、言葉から受け取る自分の印象を大切にし自由に解釈を試みるところに、ラテン語の格言と付き合う楽しみがあります。

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この記事を書いた人

ラテン語愛好家。京都大学助手、京都工芸繊維大学助教授を経て、現在学校法人北白川学園理事長。北白川幼稚園園長。私塾「山の学校」代表。FF8その他ラテン語の訳詩、西洋古典文学の翻訳。キケロー「神々の本性について」、プラウトゥス「カシナ」、テレンティウス「兄弟」、ネポス「英雄伝」等。単著に「ローマ人の名言88」(牧野出版)、「しっかり学ぶ初級ラテン語」、「ラテン語を読む─キケロー「スキーピオーの夢」」(ベレ出版)、「お山の幼稚園で育つ」(世界思想社)。

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