エッセイ

私は生きた

Conscientia bene actae vitae jucundissima est. 立派に生きた人生の自覚はもっともすばらしいものだ

これは、キケローの『老年について』に見られる言葉です。平たく言えば、死ぬときに「我人生に悔いなし」(Quod potui perfeci.)と言い切れることが大事だということです。

この言葉との関連で思い出すのが、アスグストゥスの臨終の言葉「芝居は終わりだ」(Acta est fabula.)です。人生を芝居に見立て、最後まで演じきったという自負を表しています。Acta est fabula. は Plaudite (拍手を)とあわせ、芝居の最後に用いられる表現です。伝記作家スエトニウスによれば、アウグストゥスは、この言葉に続け、 「リウィアよ、われわれの結婚を記憶して生きよ。さらば。」(Livia, nostri coniugii memor vive, ac vale!)と述べたそうです。

「生と死」を表すラテン語独特の表現をご紹介します。それは vixi (私は生きた)という単語です。ラテン語の完了時制は英語の現在完了と過去の両方の意味を持ちますが、vixi. は現在完了の用例として教科書によく出てきます。これは「生き終えた」という意味であり、要するに今は「死んでいる」ということです。このようにラテン語では「生きる」という言葉の完了形が死を意味します。

ここでローマの詩人ホラーティウスの言葉を紹介しましょう。

毎日次のように言える者は、己れを制し、満足して人生を送ることができるだろう。「私は今日を生きた(vixi)」と。(『詩集』3.29)

今日が人生最後の一日と覚悟を決めることは難しいですが、一日の終わりに vixi (今日を精一杯生ききった)と言えるかどうか、それを確かめるだけの心の余裕は持ちたいと思います。

-エッセイ
-, , , , , , ,

© 2020 山下太郎 Powered by AFFINGER5