In oculis animus habitat. 目に心は宿る

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In oculis animus habitat.これは大プリーニウスの言葉です。「目は心の窓」や「目は口ほどにものを言う」など、日本語にも似た表現があります。時代や国が違っても、考えること、感じることは同じです。

目は感覚器の一つですが、体の他の部分と異なる不思議な存在です。何より目は年を取らないし、目にシワは寄りません。たしかに目尻にシワは寄り視力はやがて衰えますが、心を若く保てば、瞳は生涯輝きを放つでしょう。

心を若く保つには?子どもの心を失わないことです。大人は何でもわかったふりをするか、わかることを諦めていますが、子どもの心は柔らかく、好奇心に満ちています。大人でも、いや大人だからこそ、子ども以上に心を若く保てる人がいます。たとえば、本来の学者や芸術家はそれができる人のはず。自分の考えがこじんまりとまとまることを何より恐れ、世の中はこういうものだと偏見で身を固めることを絶対にしない人。

「子どもは大人の父」という言葉がありますが、子どもの心を持った大人こそ、子どもの真の手本(父)となるでしょう。キーワードは理想(ギリシア・ローマでは真善美)を見つめる心の有無。理想とは人が目指すべき高みのこと。仰ぎ見る先にあるものによって精神はいかようにでも変わります。もちろん、目の輝きも。

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この記事を書いた人

ラテン語愛好家。京都大学助手、京都工芸繊維大学助教授を経て、現在学校法人北白川学園理事長。北白川幼稚園園長。私塾「山の学校」代表。FF8その他ラテン語の訳詩、西洋古典文学の翻訳。キケロー「神々の本性について」、プラウトゥス「カシナ」、テレンティウス「兄弟」、ネポス「英雄伝」等。単著に「ローマ人の名言88」(牧野出版)、「しっかり学ぶ初級ラテン語」、「ラテン語を読む─キケロー「スキーピオーの夢」」(ベレ出版)、「お山の幼稚園で育つ」(世界思想社)。

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