Nemo in amore videt. 恋は盲目

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表題のラテン語を文字通り訳せば「誰も恋において(ものを)見ていない」となります。「恋は盲目」は英語で Love is blind. と言いますが、ラテン語では Amor caecus est. と言います。

caecus は「盲目の、正しい判断が下せない」という意味で、たとえば Fortūna caeca est. といえば「運命は盲目である」と訳せます。「恋は盲目である」がゆえ、恋する者は、冷静な判断では思いつかない行為を平気でやってのけます。そのことを言い表す言葉として、Nihil difficile amantī. (恋する者に困難なし)があります。これはキケローが『弁論家』の中で用いている表現で、敬愛するブルートゥスのためなら難しい課題に挑戦する熱意が沸いてくるという趣旨で使っています。

今「敬愛する」という言葉を使いましたが、ラテン語の「愛」は男女の恋愛以外にも、家族や友人間の親愛の情を含めた幅広い意味をもちます。実際、ラテン語で「友」を意味する amīcus は amor からできた語です。また、ラテン語の動詞 amō には「愛する、恋する」という意味に加え、「情熱を持つ」という意味も含まれますので、Nihil difficile amantī. は、「情熱を持つ者に困難なし」という意味で理解することも可能です。

そのように考えるとき、表題の Nēmō in amōre videt. とは、何かに一心不乱に取り組む人に関する言葉と解釈することもできます。つまり、「夢中になると周りが見えなくなる」ということです。

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この記事を書いた人

ラテン語愛好家。京都大学助手、京都工芸繊維大学助教授を経て、現在学校法人北白川学園理事長。北白川幼稚園園長。私塾「山の学校」代表。FF8その他ラテン語の訳詩、西洋古典文学の翻訳。キケロー「神々の本性について」、プラウトゥス「カシナ」、テレンティウス「兄弟」、ネポス「英雄伝」等。単著に「ローマ人の名言88」(牧野出版)、「しっかり学ぶ初級ラテン語」、「ラテン語を読む─キケロー「スキーピオーの夢」」(ベレ出版)、「お山の幼稚園で育つ」(世界思想社)。

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