Sermo mollis frangit iram. 穏やかな言葉は怒りを打ち砕く。
sermo は「言葉、発話」を意味する名詞で、英語の sermon の語源です。英語では「教会の説教」という意味で使われます。sermo を使った格言に、Sermo imago animis est. (言葉は心の似姿)があります。
mollis は「やわらかい、穏やかな」という意味をもつ形容詞で、名詞 sermo を修飾しています。動詞の frangit は「壊す、破壊する」という意味で、目的語は iram (怒り)です。一般に、ものを破壊する場合、その主語に当たる語は「強いもの、硬いもの」をイメージしますが、この文では「やわらかい言葉」がそれにあたります。むしろこの文の目的語に当たる「怒り」(ira)こそ何かを破壊する代名詞とみなせます。ここに、やわらかいものが硬いものを打ち壊すというイメージの逆転が認められます。日本語でも「柔よく剛を制す」という言葉が使われます。いわんとすることは少し違いますが、イメージの対比は似ています。
「柔よく剛を制す」という言葉で真っ先に連想するのが、次のオウィディウスの詩句です。
Quid magis est durum saxo, quid mollius unda?
Dura tamen molli saxa cavantur aqua. (Ov.A.A.)
石よりも硬いものがあるだろうか。また、水より柔らかいものはあろうか。
だが、硬い石が柔らかい水によって穴をあけられるのだ。
同じことをもう少し簡潔に言い表したものとして、Gutta cavat lapidem non vi sed saepe cadendo.が挙げられます。「(滴は力によってでなく何度も落ちることによって石に穴をあける」という意味のラテン語のことわざです。簡略化して Gutta cavat. (滴は穴をあける)とするだけでも主旨は通じます。主語に当たる「滴」は柔らかいものの代名詞たる「水」ですが、それが硬い石に穴をあけるというのです。このことわざは、水の強さでなく、継続の大事さをアピールするもので、「継続は力なり」と意訳することもできるでしょう。
恋の技法 (平凡社ライブラリー)
オウィディウス Publius Ovidius Naso
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