病と患者

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病と患者

「病」を意味する英語には色々あるが 、disease もその一つである。この単語は否定の接頭辞 dis と ease (安らぎ)に分解できるので、言葉の成り立ちからいえば「安らかでない状態」というニュアンスを持つ。人間の精神と肉体の安らぎは常にストレス(stress)に脅かされており、この点は有史以来変わらない人間の定めと言えるかもしれない。つまり、人間は常に disease と背中合わせである。

一方、ストレス(stress)という言葉は、英語で「悲しみ、苦悩」を意味するディストレス(distress)に由来する 。distress のルーツはラテン語のdistrictus であるが 、これは心が別々の方向に引き離されて落ち着かない状態を指す言葉である。

日本語で「患者」とは「わずら患う者」を意味するが、これに対応する英語のpatient(患者)も「苦しむ者、耐える者」というニュアンスを持つ。ラテン語で「苦しみに耐える、我慢する」を表す動詞 patior (パティオル)の現在分詞が patiens (パティエンス)であり、英語には patient の綴り字で取り込まれた。

なお、英語のpatient は形容詞として「辛抱強い」という意味を併せ持つが、その反意語は impatient で、「短気な、いらいらして、切望して」という意味になる。「ホウセンカ」――花言葉は「短気」 ――の学名はラテン語で「インパティエンス」となっているが、これは、人が果実に触れるとすぐにはじけて種をまき散らす性質にちなんでいる。

英語では、患者の苦しみを「癒すこと」をhealing (ヒーリング) 、また、「癒しを施す者」(=治療師)のことを healer (ヒーラー)と呼ぶ。これらの言葉は「健康」を意味する英語のhealth (ヘルス)と語源的につながっている。マッサージを初め、様々なhealing 方法が私たちの心をリラックスさせ、ストレスを解放してくれる。中には、愛犬が、あるいは、気に入った香りが心を癒す、という人もいるだろう。最近はやりの言葉で言えば、前者が「アニマル・セラピー(animal therapy)」であり、後者が「アロマ・セラピー(aroma therapy)」ということになる。

ラテン語のことわざに、Medicus curat, natura sanat. (医者は治療し、自然は癒す)という言葉があるが、ラテン語の sano (サーノー)には「癒す」という意味がある。形容詞は sanus (サーヌス=健全な)で、英語には sane (セイン)という単語として入っている。sanitary (サニタリ=公衆衛生の)もsane の関連語である。

サーヌス(健全な)といえば、「健全な肉体は健全な精神に宿る」という表現を思い出す、という人もいるかもしれない。ラテン語では、mens sana in corpore sano.となる。これは、ローマの風刺詩人ユウェナーリスの言葉として知られるが、原文の表現は微妙にニュアンスが異なっている。すなわち、彼は人間の願望のむなしさを語りつつ、せめて願い事をするなら、「健全な肉体が健全な精神に宿るよう祈りたい」と述べている。つまり、Orandum est ut sit mens sana in corpore sano.となっている。

ここでいう「健全な精神」(mens sana)とは、ローマで一世を風靡したエピクロス哲学、ストア哲学の理想「魂の平静(アタラクシアー)」を意味しているが 、簡単に言えば、「バランスのとれた心」と考えてよい。なお、アタラクシアー(ataraxia)とは、ギリシア語で「煩い(taraxia)のない状態」のことであり 、いわば「ストレスのない心の状態」と考えられる。

ラテン語には、Medice, cura te ipsum.(医者よ、自らを治せ)という格言もある。「治す」という意味のラテン語 curo (クーロー)は英単語 cure (医療、治療)の語源である。いわんとすることは「医者の不養生」ということであろう。教育に関連づけて言えば、「教師よ、自らを教育せよ」というところか。

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この記事を書いた人

ラテン語愛好家。京都大学助手、京都工芸繊維大学助教授を経て、現在学校法人北白川学園理事長。北白川幼稚園園長。私塾「山の学校」代表。FF8その他ラテン語の訳詩、西洋古典文学の翻訳。キケロー「神々の本性について」、プラウトゥス「カシナ」、テレンティウス「兄弟」、ネポス「英雄伝」等。単著に「ローマ人の名言88」(牧野出版)、「しっかり学ぶ初級ラテン語」、「ラテン語を読む─キケロー「スキーピオーの夢」」(ベレ出版)、「お山の幼稚園で育つ」(世界思想社)。

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