英語とラテン語

個の自立

個の自立

最近よく耳にする「個の自立」という言葉は、具体的にどのようなことを意味するのだろうか。対応する英単語をめぐってあれこれ考えてみたいと思う。

まず「自立」という日本語について考えると、この言葉の英訳は、普通independenceとみなされる 。実際、「自立」と independenceは、各々喚起するイメージがかなり似ていて興味深い。「自立」とは文字通り「自分で立つ」というイメージである。では、independence とはどういう状態を意味するのだろうか?

英語のindependentは、inとdependentに分解できるが、このうちinとは、「無」とか「不」の意味(notの意味)を表す接頭辞である 。一方、dependentという語は、さらに、deとpendentに分けることができる。deは「下降」の意味を持ち 、もう一つのpendentはまさしく「ペンダント」の意味、つまり首からぶら下がるペンダントと同じ意味を持っている 。種明かしをすれば、このペンダントとは、ラテン語でまさに「ぶら下がる」状態を意味する言葉であって、dependentとは、他人の首からだらりとぶら下がるペンダントのような状態(主体性のない状態)をさす言葉だ。日本語には「親父のすねをかじる」という表現があるが、英語では「すねをかじる」といわずに、「首からぶら下がる」というわけである。

一方、冒頭にあげた「自立すること」、すなわちindependentな状態とは、まさにそのようなペンダント状態を「否定(克服)すること」(接頭辞inの意味に注意)を意味している。それは、まさしく「自立」であり、「独り立ち」と言ってよい状態である。「すねかじり」状態から「独り立ち」への転換を、inという否定の接頭辞が意味していると考えると、一見とっつきにくく見える英単語のスペリングにもロマンが感じられる。

次に、「個の自立」と言った場合の「個」について考えてみる。英語ではindividualという言葉がこれに当たる。ここでまた言葉の成り立ちを考えると、inは先ほどでてきた「打ち消し」のinであり、dividualのスペリングには、「分割する」を意味する動詞のdivide が認められる。つまり、「個人」とは「これ以上二つに分割できない存在 」というニュアンスをもつことがうかがえる。

一方「個」に対立する言葉は、英語ではgroupと言えよう。日本語だと「みんな」がこれに当たる気がする。「みんな大学に行くから私もいく」という言い方における「みんな」である。「みんな~している」けれども「自分はこうする」と判断するとき、私たちは先入観にとらわれない「自分の」考えを大切にしていることになる。

今「先入観」という日本語を使ったが、英語ではprejudiceがこの日本語に対応する。pre-の部分は「前もって」を意味し、judiceの部分は、ラテン語で「判断」を表すjudicium(ユーディキウム)が元になっている。つまり「先入観を持つ」とは、自分で確かめることなく「先に判断する」態度を意味している。言い換えれば、他人の考えを鵜呑みにし、思考が停止している状態といっていい。

思考が停止するから、何かにもたれないといけなくなる、というわけで、知らず知らずのうちに自分以外に判断の根拠を求める(=権威にもたれかかる)体質ができあがっていく。このようなことを考えるとき、繰り返しになるが、冒頭にあげたindependenceという語は、他人からの経済的独立だけでなく、何より自分の内面に判断の基準をもち、思考を働かせる態度と無縁でないと思われる。

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