学生と学者

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学生と学者

中学英語の基本的な例文に I am a student. というのがある。「私は生徒です」と訳せば試験では正解である。確かにstudent と言えば「学生、生徒」を意味するが、この言葉は、「熱中する、努力する」という意味のラテン語 studeo(ストゥーデオー)に由来する 。したがって、本来の意味に即してstudent を訳せば、「熱意を持つ者、努力する者」という意味になる。また、student に関連した名詞study は普通「勉強、勉学」と訳すが、そのルーツは「熱意」や「情熱」を意味するラテン語の studiumである 。

「強いて努める、精を出す」という意味を連想させる「勉強」という漢字も、元来は「強制」でなく、むしろ個人の「自発的な意思」を示唆する言葉である。日本語では、商品を安くして売ることも「勉強します」と言うが、精一杯努力する対象、すなわち「勉強」の対象は学問、技術、商売等のジャンルを問うものではない。

ところで、日本語で「勉強」の反対語は何か?と聞くと、たいていの人は「遊び」と答えるように思われる。また、「遊び」に対応する英単語は play である、と。このとき、study の反意語は play でよいということになる。この考え自体はけっして間違いではない。All work and no play makes Jack a dull boy. (よく遊び、よく学べ)という英語のことわざはこの考え方を裏付ける。しかし、英語の語源に照らすとき、study と対比すべき言葉として、「情熱を失った状態」を意味する apathy (無感動)や indifference (無関心)を考えてみたくなる。

なるほどplay という語は「遊び」と訳すことが可能であるが、同時に、人間が情熱を傾け、夢中になる営みと不可分である。例えば、名詞として「劇、演劇、芝居」、「スポーツの競技」という意味があるし、動詞の場合も「(スポーツを)する」とか「(音楽を)演奏する」といった意味もある。現代日本語で言う「遊び」 はどちらかと言えば、緊張やストレスにたいする弛緩や気晴らしを意味するように思われるが、英語の「プレイ」はもっと能動的で積極的な行為を指す。実際、スポーツ選手のことを英語ではプレイヤーと言うが、それを直訳して「遊び人」と置き換えたのでは、言葉の上でどこか違和感が残るだろう。

ところで、人類の学名はHomo sapiens (ホモー・サピエンス)というラテン語-これは「知恵のある人間」(または「人間は知恵を持つ」)という意味-であるが、これにたいし、オランダの学者ホイジンガ は、Homo ludens (ホモー・ルーデンス)と定義した 。その意味は「遊ぶ人間」(または「人間は遊ぶ」)となる。ホイジンガは、「遊び」が人間文化の本質と密接に関わるものであり、人間を特徴付ける大切な行為とみなした。しかし、ラテン語の ludens (ルーデンス)は、その名詞形 ludus (ルードゥス)とともに、芝居や詩歌など、人間の文化を生み出す活動を含意するのであり、この点で英語の「プレイ」と似たニュアンスを持つ。つまり、Homo ludens は、単純に「遊ぶ人間」、「遊び人」と訳しきれない様々な意味を内包している。

蛇足ながら、今触れたラテン語の ludus (ルードゥス)には、「遊び」以外に子供達の通う「学校」の意味もある。同様に、英単語のschool (スクール)は、ギリシア語で「暇」を意味するスコーレーに由来し、ルードゥスとイメージの重なりを持つ。ちなみに、「学者」を意味する scholar (スカラー)も、このスコーレーと関連した言葉である 。漢字の「学者」が文字通り「学ぶ者」を意味するのにたいし、スカラーには「暇を持つ者」というニュアンスが認められる。強いてスカラーの反対語を英語で考えるなら、「忙しい」ビジネスマン(business man)ということになろうか 。

しかし、school が「何もしないでいい暇な場所」でないように、scholar も、「することがなくてぶらぶらしている人」を意味するわけではけっしてない。businessに心を煩わすことなく、心にゆとりをもって「真理」の探求に人生をささげる人こそ、本来の意味でscholar と呼ばれるに値する人であろう。

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この記事を書いた人

ラテン語愛好家。京都大学助手、京都工芸繊維大学助教授を経て、現在学校法人北白川学園理事長。北白川幼稚園園長。私塾「山の学校」代表。FF8その他ラテン語の訳詩、西洋古典文学の翻訳。キケロー「神々の本性について」、プラウトゥス「カシナ」、テレンティウス「兄弟」、ネポス「英雄伝」等。単著に「ローマ人の名言88」(牧野出版)、「しっかり学ぶ初級ラテン語」、「ラテン語を読む─キケロー「スキーピオーの夢」」(ベレ出版)、「お山の幼稚園で育つ」(世界思想社)。

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