「ノーン・ソールム・フォルトゥーナ・イプサ・エスト・カエカ・セド・エティアム・エオース・カエコース・ファキト・クォース・セムペル・アドュウァト」と読みます。
non solum A, sed etiam Bの構文は、英語のnot only A but also Bの構文に対応します。
ipsaは強意代名詞ipse(それ自身)の女性・単数・主格です。
caecaは形容詞caecus(盲目な)の女性・単数・主格です。
前半は、「運命はそれ自身盲目であるだけでなく。。。」となります。
指示代名詞eosは、男性・複数・対格です。caecosと性・数・格が一致しています。
facitは動詞facio(=make)の単数・3人称・現在で、「eosをcaecosにする」という意味を与えています。
quosは、関係代名詞、男性・複数・対格です。adjuvat(=help)の目的語になります。
adjuvatはadjuvo(助ける)の単数・3人称・現在で、主語はfortunaです。semperは「常に」という意味です。
後半は、「常に運命が助ける者たちを盲目にする」となります。
訳の全体は、「運命は、それ自身が盲目であるだけでなく、常に助ける者たちを盲目にする。」となります。
運命が盲目であるという指摘はある意味で、月並みです。ポイントは、後半のせりふです。運命がたまたま愛した人間は、幸運を自分の実力と思いこむ、つまり正しい判断を失って、盲目になるというのです。
これはキケローの『友情について』に見られる表現です(cf.Cic.Amic.15.54)。
ホラーティウスは詩の中で、「苦難には、勇気を持って力強く、対処せよ。しかしその一方、賢明になって、あまりに順調な風に対しては、はらんだ帆を畳め」と述べています。
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コメント
コメント一覧 (2件)
読者から以下のご指摘を受けました。
「先生の「~のラテン語入門」のHPにキケロの友情論から下のような引用があります。
Non solum fortuna ipsa est caeca sed etiam eos caecos facit quos semper adjuvat.https://www.kitashirakawa.jp/taro/?p=685
この文の後半sed以下は、普通のDe amicitiaのテキストとは異なつているように思いますが・・・
例えば、Latin Libraryでは
… sed eos etiam plerumque efficit caecos quos complexa est
となっています。
わたしの持っている学習者用の De amicitia(昔、MacMillanから出ていたものの覆刻版)などでもそうです。
岩波の「ギリシア・ラテン引用語辭典」(田中・落合編)[わたしの持っている版(1971年)で言うと、p.487]でも然り。」
これに対するお返事は以下の通りです。
「これは学習者用に書き換えたものを下敷きにして引用しています。元を正すと、他の教科書(「楽しく学ぶラテン語」など)を学んでいて「よい」と思ったものを引用して掲載しています。それらの教科書に出典を書いているので、それを掲載していますが、正しくは原典と照合し、加筆修正がほどこされていたら、cf.を入れるなどしてそのままの引用でないことを明示すべきですが、1990年代からの住み重ねの中で、その手間を省く期間が長くあったため、ご覧の通りの「ずれ」がそのままになっています。申し訳ありません。この文章については、cf.を入れておきます。
補足です。
>… sed eos etiam plerumque efficit caecos quos complexa est
むしろ(sed)次の者たちを(eōs)さらに(etiam)多くの場合(plērumque)運命は()盲目な状態(caecōs)にする(efficit)、運命が()抱きしめた(complexa est)ところの(quōs)者たちを。