語彙と文法
「ヘクトラ・クゥィス・ノッセト・シー・フェーリクス・トロイヤ・フイッセト」と読みます。
Hectora はトロイヤ最大の英雄ヘクトル(Hector,-oris m.)の単数・対格で、nosset の目的語です。
quis は疑問代名詞 quis,quid (誰が、何が)の男(女)性・単数・主格です。
nosset は「知る」を意味する第3変化動詞 noscō,-ereの接続法・能動態・過去完了、3人称単数 nōvisset の別形です。この動詞は完了で「知っている」、過去完了で「知っていた」を意味するので、この非現実の条件文で用いられるnossetについては、「知る」と訳します(非現実の条件文なので時制が一つずれます)。
sī は「もしも」を意味する接続詞です。
fēlix は「幸福な」という意味の第3変化形容詞fēlix,-īcisの女性・単数・主格です。
Trōja はホメーロスの描いた叙事詩『イーリアス』の舞台となる国の名です。
fuisset は、不規則動詞sum,esse(ある)の接続法・過去完了、3人称単数です。主語は Trōja です。
「sī + 接続法・過去完了 / 接続法・過去完了」の構文で、過去における事実に反する事実を仮定します。実際には、トロイヤはギリシアに滅ぼされ、悲劇的な運命を辿りました。しかし、その過程で、ヘクトルは力の限り戦い、名を残すことができたのです。
全体の意味は、「ヘクトルの名を (Hectora) 誰が (quis) 知ろうか (nosset)、もし (sī) トロイヤが (Trōja) 幸福で (fēlix) あったなら (fuisset)」となります。
オウィディウス『悲しみの歌』4.3.75 の表現です。短くとも心に残る言葉です。
この言葉の続き
この言葉に続く行は次の通りです。
pūblica virtūtī per mala facta via est.
語彙と文法を説明します。
「プーブリカ・ウィルトゥーティー・ペル・マラ・ファクタ・ウィア・エスト」と読みます。
pūblicaは第1・第2変化形容詞pūblicus,-a,-um(公の)の女性・複数・対格で、malaにかかります。
virtūtīはvirtūs,-ūtis f.(勇気)の単数・与格です。
perは「<対格>を通じて」を意味する前置詞です。
malaはmalum,-ī n.(不幸)の複数・対格です。
factaはfaciō,-ere(作る)の完了分詞、女性・単数・主格です。estとともにfaciōの直説法・受動態・完了、3人称単数を作ります。
viaはvia,-ae f.(道)の単数・主格です。
estは不規則動詞sum,esseの直説法・現在、3人称単数です。
「公の(pūblica)不幸(mala)を通じて(per)勇気に(virtūtī)道が(via)作られた(facta…est)」と訳せます。
「公的に下された不幸を勇気をもって耐え抜くことで、その勇気を称賛する道が切り開かれた」という趣旨の言葉です。
平凡な人生であれば決して称賛される必要のない勇気ではあります。
オウィディウスは自分の境遇をトロイア戦争の不幸な英雄の運命に重ねています。
和訳
『ギリシャ・ローマ名言集』(20番目)の柳沼訳は次の通りです。
「もしトロイアが幸福であったなら、誰がヘクトルのことを知っただろう?公の不幸を通して徳の道は作られる」。
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