語彙と文法
「ムータートー・ノーミネ・デー・テー・ファーブラ・ナッラートゥル」と読みます。
mūtātō は「変える、変更する」を意味する第1変化動詞 mūtō,-āre の完了分詞 mūtātus,-a,-um の中性・単数・奪格です。
nōmine は「名前」を意味する第3変化名詞 nōmen,-minis n. の単数奪格です。mūtātō とセットでいわゆる「絶対的奪格」の表現をつくります。「名前を変えると」と訳せます(直訳は、「名前が(nōmine)変えられると(mūtātō)」)。
dē は「<奪格>について」を意味する前置詞です。
tē は2人称単数の人称代名詞 、奪格です。dē tēで「君について」。
fābula は「物語」を意味する第1変化名詞fābula,-ae f.の単数・主格です。
narrātur は「語る」を意味する第1変化動詞narrō,-āre の直説法・受動態・現在、3人称単数です。主語は fābula で、「物語は(fābula)語られる(narrātur)」という意味になります。
「名前を変えると、その物語はあなたについて語っている」と訳せます。
ホラーティウスの詩句です(Sat.1.1.69)。この言葉の直前に、Quid rīdēs ? (なぜ、君は笑うのか?)という表現があります。
「我がふりを見よ。他人のことは笑えないだろう」というメッセージがこめられています。
補足説明
夏目漱石の『三四郎』に、「ダーターファブラ」の表記で出てくる言葉です。
ホラーティウスは、例に出したエピソードを聞いて笑い出した相手に、「なぜおまえは笑うのか?名前を替えれば、この話はおまえのことを語っているのに」と言います。他人ごとではない、自分についての物語が語られているのだぞ、というメッセージです。
ホラーティウスがふれたのは、地獄で永久に飢えと渇きに苦しめられる王の話です。目の前に食べたいもの、飲みたいものがあっても手が届かず、口にすることもできません。
神話の伝えるこの厳罰を通じ詩人が皮肉ったのは、話相手の貪欲な性根です。山のように積み上げられた穀物袋。でも、それは財産の一部なので、あなたは手で触れることも食べることもしない・・・。神話の王といっしょだ、というわけです。
詩人は言います。あなたの腹はわたしと同じ分量しか食べられないのだ、と。生きる上で必要な量はたかが知れており、それ以外は全部余分です。多くても少なくても何も違いはありません。むしろ多ければ多いほど、それを失わないかと心労が募るだけです。
要は「欲望に限度を定めよ」というのがホラーティウスの主張になります。何事にも節度が大切。この詩人が繰り返し伝えるメッセージであります。
ホラティウス全集
鈴木 一郎
コメント
コメント一覧 (1件)
山下です。
Tさんより:
「narratur は『語る』を意味する第一変化動詞 narro の直説法・受動態・現在、三人称複数です。」という部分は、
「narratur は『語る』を意味する第一変化動詞 narro の直説法・受動態・現在、三人称単数です。」ではないでしょうか。「複数」→「単数」です。
「複数」→「単数」が正しいです。細かな点まで見ていただき、誤植の指摘をありがとうございました。