「フェーリクス・クゥィー・ニヒル・デーベト」と読みます。
fēlix は第3変化形容詞fēlix,-īcis(幸福な)の男性・単数・主格です。文の補語です。
quī は関係代名詞quī,quae,quodの男性・単数・主格です。先行詞は省略されています。「~するところの者は」と訳せます。
nihil は英語の nothing に相当し、日本語で強いて訳せば「無」となります。中性・単数・対格です。
dēbet は「負う」を意味する第2変化動詞 dēbeō,-ēre の直説法・能動態・現在、3人称単数です。
「無を(nihil)負う(dēbet)」とは「借りがない、借金がない」という意味です。
「借金のない人は幸福である」と訳せます。
<余談>
表題の言葉は、いつ誰が言い出した言葉かはわかりません。内容はいかにも当たり前で、少しラテン語の格言らしくないほどです。しかし、その当たり前のことを短い言葉で言い切るところに、かえって味があります。
借金があれば、返済の心配が生まれます。しかも金銭の貸し借りは、ときとして人間関係そのものを変えてしまいます。
セネカはこう述べています。
leve aes alienum debitorem facit, grave inimicum.
「わずかな借金は債務者を作るが、多額の借金は敵を作る。」
(Sen. Ep. 19.11)
借りた金額が大きくなるほど、借り手は貸し手に感謝するどころか、かえってその存在を疎ましく感じるようになる。人間心理を鋭く突いた言葉です。
セネカの文章には、財産が増えればそのまま幸福も増えるわけではない、という考えが繰り返し現れます。財産を持てば、今度はそれを失う不安が生じるからです。
別の手紙では、こう述べています。
Illa vero non est paupertas, si laeta est; non qui parum habet, sed qui plus cupit, pauper est.
「貧乏が楽しいものなら、それは貧乏ではない。わずかしか持たない者ではなく、より多くを望む者が貧しい。」
(Sen. Ep. 2.6)
問題は、持っている量ではなく、「まだ足りない」と思う心にあるということでしょう。
Fēlīx quī nihil dēbet.
借金がなく、財産への執着にも心を縛られない。結局のところ、古代人も現代人も、ほどほどのところに幸福を見い出すのかもしれません。
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