「イグノーラームス・エト・イグノーラービムス」と読みます。
ignōrāmusはignōrō,-āre(知らない、無知である)の直説法・能動態・現在、1人称複数です。
etは「そして」を意味し、前後の言葉をつなぎます。
ignōrābimusはignōrō,-āre(知らない、無知である)の直説法・能動態・未来、1人称複数です。
「われわれは知らない、そして、知らないだろう」と訳せます。
19世紀のドイツの生理学者エミール・デュ・ボア=レーモンの言葉です。
この表現は、彼が1872年ベルリン科学アカデミーで行った講演
「Über die Grenzen des Naturerkennens(自然認識の限界について)」
の結語に登場します。彼は当時、急速に発展していた自然科学にあっても、「世界の究極的な根源」や「意識の本質」といった問題については、科学的探究が永遠に到達できない領域があると主張しました。

これに対して、ドイツの数学者ダフィット・ヒルベルトは全く逆の立場を示します。1930年の講演『自然認識と論理』において、上のデュ・ボア=レーモンの言葉を批判し、次のように述べました。
我々[数学者]にイグノラビムス[不可知]はない、また私が思うに、自然科学にもイグノラビムスはない。馬鹿げたイグノラビムスに対し、我々のスローガンはこうなるだろう。「我々は知らねばならない、我々は知るであろう」(Wir müssen wissen — wir werden wissen)— ダフィット・ヒルベルト(1930年)『自然認識と論理』(Wikipediaからの引用)
コメント