出典はオウィディウスの『変身物語』(10,252)です。ピュグマリオンという彫刻家が自分の作った乙女の像に惚れてしまうという筋書きで、それほどまで彼の技が卓越していたということです。興味深い話なので、該当箇所を紹介しましょう。
彼女たち*が汚辱のうちに生活を送っているのを見たのが、
ピュグマリオンだった。その結果、彼は、
本来女性の心に与えられている数多くの欠点にうんざりして、
妻をめとることはなしに、独身生活を守っていた。
が、そうこうするうちに、持ち前のすばらしい腕前によって、
真っ白な象牙を刻み、生身(なまみ)の女ではありようもないほどの容姿を与えたまではよかったが、
みずからその作品に恋を覚えたのだ。
その彫像は、ほんものの乙女のような姿をしていて、まるで生きているように思えたし、
もし恥らいによって妨げられなければ、動き出そうとしているようにも思われた。
それほどまでに、いわば、技巧が技巧を隠していたのだ。(ars adeo latet arte sua. )
(『変身物語』(下)中村善也訳)
*プロポイトスの娘たち。ウェヌスの怒りにふれて石に姿を変えられる。
その後、ウェヌス女神のはからいで乙女の像は人間の命を得るというストーリーです。
同じオウィディウスに、Si ars latet, prodest.(もし技が隠されているなら、それは役に立つ)という言葉があります。『恋愛術』に見られる表現です。恋人を手に入れるためのあの手この手を開陳する中での言葉です。この表現の裏にある考えは、 わざとらしさが過ぎると下心が露呈してしまうので注意せよ、ということです。同じ「アルス(技術)を隠す」というモチーフを同じ詩人が扱っても、文脈によっていわんとすることは大きく変わります。
オウィディウス 変身物語〈下〉 (岩波文庫)
オウィディウス Publius Ovidius Naso
コメント