神々はわれを見守り給う:ホラーティウス

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Di me tuentur. 神々はわれを見守り給う

ホラーティウスの言葉です(carm. 1.17,13)。動詞の tuentur は「見る、保護する」という意味を持ちます。詩の文脈を抜きにすれば「神々はわたしを見つめている」と訳せます。主語が複数になっているのは、ローマの時代は多神教だからです。神を単数にした場合、Deus me tuetur. となります。

この言葉との関連で、「神を知る者は神を敬う」(Deum colit qui novit.)というセネカの言葉も紹介しましょう(『ルキリウス宛て書簡集』)。セネカによれば、「神への第一の崇敬は、神を信じること」にほかなりません。

神を敬うことをラテン語で pietas と言います。英語の piety の語源です。ウェルギリウスは「武勇の徳」(virtus)と「敬神」(pietas)の二つを備えた英雄としてアエネーアスを描いています。冥界に降りた主人公に向けられた「教訓とせよ、義を学び神々を軽んぜぬことを」(Discite iustitiam moniti, et non temnere divos.)という言葉は、詩人から読者に捧げられたメッセージでもありました。

関連図書:

ルキリウスへの手紙/モラル通信
セネカ Seneca
4773372710

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この記事を書いた人

ラテン語愛好家。京都大学助手、京都工芸繊維大学助教授を経て、現在学校法人北白川学園理事長。北白川幼稚園園長。私塾「山の学校」代表。FF8その他ラテン語の訳詩、西洋古典文学の翻訳。キケロー「神々の本性について」、プラウトゥス「カシナ」、テレンティウス「兄弟」、ネポス「英雄伝」等。単著に「ローマ人の名言88」(牧野出版)、「しっかり学ぶ初級ラテン語」、「ラテン語を読む─キケロー「スキーピオーの夢」」(ベレ出版)、「お山の幼稚園で育つ」(世界思想社)。

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