Otii fructus est non contentio animi, sed relaxatio. 閑暇の実り:キケロー

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Cicero
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語彙と文法

「オーティイー・フルクトゥス・エスト・ノーン・コンテンティオー・アニミー・セド・レラクサーティオー」と読みます。
ōtiī は「閑暇」を意味する第2変化名詞 ōtium,-ī n. の単数・属格です。
fructus は「果実」を意味する第4変化名詞fructus,-ūs m.の単数・主格です。
estは不規則動詞sum,esseの直説法・現在、3人称単数です。
nōnは「~でない」。contentiōを否定します。nōn A sed Bで「AでなくむしろB」。
contentiō は「緊張」を意味する第3変化名詞contentiō,-ōnis f.の単数・主格です。
animīはanimus,-ī m.(精神、心)の単数・属格で、contentiōにかかります。
sedは「むしろ」を意味します。
relaxātiō,-ōnis f. は「ゆるめること、くつろぎ」を意味する第3変化名詞relaxātiō,-ōnis f.の単数・主格です。
「閑暇の(oti)実りとは(fructus)精神の(animi)緊張(contentio)ではなく、(精神を)ゆるめること(relaxatio)である」と訳せます。
キケローの『弁論家』に見られる表現です(2.22)。

表題の続きの表現

いつも忙しい人にたいして、時にはリラックスすることが大事であるといいます。

Quandō dēnique nihil agēs? 
結局のところ、あなたはいつになったら何もしなくなるのか。

次のような定義もくだされます。

mihi enim liber esse non videtur, qui non aliquando nihil agit.
実際(enim)わたしには(mihi)自由ではないと(liber esse non)思われる(videtur)、時々(aliquando)何もしないことをしない(non…nihil agit)ような人は(qui)。

直訳はかえってわかりづらいと思います。大西先生の訳では、「時に何もしない時間をもたないような人間はわたしには自由人とは思われない」となっています。

ちなみに、最初に引いた引用文の大西訳は、「しかし、実りある閑暇とは、精神を緊張させることではなく、精神を解きほぐすことなのである」となっています。

文献案内

信頼できる翻訳として、『弁論家について〈上〉 (岩波文庫) 大西英文訳』があります。

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この記事を書いた人

ラテン語愛好家。京都大学助手、京都工芸繊維大学助教授を経て、現在学校法人北白川学園理事長。北白川幼稚園園長。私塾「山の学校」代表。FF8その他ラテン語の訳詩、西洋古典文学の翻訳。キケロー「神々の本性について」、プラウトゥス「カシナ」、テレンティウス「兄弟」、ネポス「英雄伝」等。単著に「ローマ人の名言88」(牧野出版)、「しっかり学ぶ初級ラテン語」、「ラテン語を読む─キケロー「スキーピオーの夢」」(ベレ出版)、「お山の幼稚園で育つ」(世界思想社)。

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