英語とラテン語

教育

教育

教育は国づくり、人づくりの基礎である。教育に関する議論が古今東西を問わず盛んなのはそのためである。中国には、「孟母三遷」という言葉があるが、孟子 の母親は孟子を育てるために、最良の教育環境を与えようとして三回も引っ越しをした。その孟子には、「天下の英才を得て、これを教育す」という表現があり、「教育」とは実に古い言葉だということがうかがえる。

「教」の字は、「教える者と習う若者とのまじわり」と、「鞭打つ」の二つの意味を併せ持つ。「ゆとりの教育」などという生やさしいことは言わせない、そういった真剣さ、厳しさが「教」の字には漲(みなぎ)っている。一方、古代ギリシアの哲学者アリストテレースも、「教育の根は苦く、果実は甘い」と述べた 。教える側にとっても、学ぶ側にとっても、教育そのものはどこまでも苦く厳しい。しかし、その成果に対する希望も限りなく大きい。

さて、「教育」を意味する英語はeducation であり、その動詞形(教育する)は educate である。educate は「外へ」を意味する前置詞 ex と「導く」を意味する動詞 duco(ドゥーコー) が合成されてできたラテン語に由来し、字句どおり訳せば「外へ導く、引き出す」という意味になる 。つまり、生徒一人一人の中に潜んでいる才能を外に引き出す、というのが本来の意味と考えられる。

しかし、人間は無から有を生むことはできない 以上、国語や数学は言うに及ばず、あらゆるジャンルに渡って、若いうちに基礎的な知識を修得することは、将来の知的創造の基礎になる。ここでいう基礎的知識とは、「2+3は5である」とか「当用漢字の読み書き」といった自分流の通用しないレベルの知識を指す。

英語について言えば、その基礎は中学校で学習する内容がそれに当たる。かけ算の九九をそらんじることができるように、中学時代に習う英語の例文はどれもがすらすら口から出てくるようまで練習したい。逆に、このレベルが不十分なまま高校に上がると、教科書に出てくるまとまった量の文章を前にしてパニックに陥ると予想される。ちょうど、かけ算で苦労する生徒が中学校の数学についていけないのと同様に。

孔子は「本立ちて道生ず」と述べた。基礎を固めると、道はおのずから開けるという意味である 。孔子はまた、物を知るということについて、「知っていることと知らないことを区別することが物を知るということだ」とも述べている。基礎の学習についても、数多くドリルを繰り返すことで、曖昧な知識、知らないままの知識をあぶり出し、それらを一つ一つ習得していく根気強く地道な努力の継続が大切であるように思う。

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