生活と人生

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生活と人生

英語のlifeという言葉は、日本語では「生活」とも「人生」とも訳すことが出来るが、これら二つの日本語は似て非なるものである。たとえば「便利な生活」と言うが、「便利な人生」とは言わない。

一般に、理工系の学問は「便利な生活」の実現をもたらすが、人文系の学問、特に「文学研究」は、その実現に寄与することを直接の目的とするものではない。むしろ文学は、他の芸術とともに、人間の生き方、すなわち「人生」の意味を深く問おうとする。無論それぞれの学問の方向は、互いに背を向けあうものではなく、もちつもたれつの関係にあるわけで、どちらか一方のみで、私たちの生活や人生が豊かになるとは思われない。

一方、life には「命、生命」という意味もある。たとえば、life saver と言えば「救命具」を意味している。また、with life という表現は「元気よく」と訳せるように、life は「元気」という意味も含意する。このように、英語であれば life 一語ですませるところを、日本語の場合、「人生」、「生活」、「命」、「元気」といったさまざまな訳語を使い分ける必要が出てくる 。

2002年2月、『千と千尋の神隠し』(宮崎駿監督作)が第52回ベルリン国際映画祭にて金熊賞を受賞した。日本のアニメは文句なしに世界のトップレベルにある。元来animation (アニメーション)の略語として用いられた「アニメ」という和製英語は、いつのまにか anime という言葉で広く認知されるようになった 。このanimation という言葉は、ラテン語の anima(魂)が語源である 。一枚一枚の原画が連続的に再生されることで、あたかも魂を吹き込まれたかのように生き生きと動き始める。「動物」を意味するanimal(アニマル)も、自然物に霊魂を認めるアニミズム(animism)も、語源はラテン語の「アニマ」(anima)である。

一方、英語で「魂」を意味する言葉は soul や spiritである。このうちspirit は、ラテン語で「息」を意味するspiritus(スピーリトゥス)が語源であるが、その動詞形が spiro (スピーロー)である。ラテン語の格言に Dum spiro, spero. (息をする限り、希望をもつ)というのがあるが、その英訳は、While there is life, there is hope. (命のある間は望みがある)として人口に膾炙している。つまり、「息をすること=spiro」が「命ある状態=life」として把握されていることに気づく。ここで、日本語の「生(い)きる」と「息(いき)」が語源的につながっているという説を思い出すこともできよう。

ところで、ラテン語で「生きる」を意味する一般的な言葉は vivo(ウィーウォー)である。「万歳!」を意味する「ビバ(viva)!」という表現 や、「生き生きとした」という意味の英単語vivid もラテン語のvivo (生きる)が語源である。また、英語圏においては、「口頭試験(oral interview)」のことを viva voce というが、これはラテン語のつづりがそのまま使用される一例である。ちなみに、この表現を直訳すると「生の声で」という意味になる。

日本語で「せい生」に対置される言葉は「死」であるが、「死」を意味するラテン語はmors(モルス)である 。morsの形容詞形 mortalis (モルターリス)は、英語では mortal(死すべき)の形で取り込まれている。その反意語はimmortalである。人間は「死すべき存在(mortal)」であるが、神々は「不死なる存在」としてimmortal と言われる。

一方、人間は動物とともにanima (魂)を持つ存在、すなわちanimal (生き物)とみなされるが、他方では「理性」──ラテン語ではratio(ラティオー)──を備えた存在として動物と区別される。また、人間は二本足で立つことにより、自由になった両手で道具を作ることができるようになった。すなわち、Homo sapiens (ホモー・サピエンス=知恵を持つ人間)とともにHomo faber(ホモー・ファベル=技術を扱う人間)という定義も聞かれる。

だが、この二足歩行は、人間に知恵と技術を与えただけでなく、頭をもたげて天を仰ぐことも可能にした 。すなわち、ギリシア・ローマの考えでは、ひとり人間のみが星空の向こうに不死なる存在を信じつつ、真・善・美の理想を追求してきたとみなされるのである。こうして哲学や宗教、諸々の芸術が誕生した。

「生活」を便利にする工夫も、「人生」の意味を深く問う営みも――文明や文化の営みと言い換えることができる――、ともに人間が人間であるゆえんであり、永遠にやむことはないであろう。つまり、個々の人間はmortal であるが、これらの人間の営みはimmortal である、という言い方はできそうである。

この解釈をラテン語で意訳すれば、すでに見た Ars longa, vita brevis.(アルス・ロンガ・ウィータ・ブレウィス)という表現が思い浮かぶ。すなわち、ラテン語のars(アルス)は、広い意味で人間固有の営み――今述べた文明と文化の営み――を総称する言葉であり、ars longa はその immortality (永遠性)を、vita brevis は個々の人間の生(vita)のmortality(可死性)を意味している、と。

以上述べてきたことをまとめると、人間にとって死は不可避である点で、不死なる神とはなりえないが、知恵と技術を用いることで、あるいは、人生の意味を深く問うことによって、文明や文化という「不死なる存在」の継承と発展に寄与する道が開かれている、ということである。

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この記事を書いた人

ラテン語愛好家。京都大学助手、京都工芸繊維大学助教授を経て、現在学校法人北白川学園理事長。北白川幼稚園園長。私塾「山の学校」代表。FF8その他ラテン語の訳詩、西洋古典文学の翻訳。キケロー「神々の本性について」、プラウトゥス「カシナ」、テレンティウス「兄弟」、ネポス「英雄伝」等。単著に「ローマ人の名言88」(牧野出版)、「しっかり学ぶ初級ラテン語」、「ラテン語を読む─キケロー「スキーピオーの夢」」(ベレ出版)、「お山の幼稚園で育つ」(世界思想社)。

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