ローマ建国者アエネアスと対立するトゥルヌスの一騎打ちの結果、アエネアスが勝利を収めます。以下はその最後の場面です。
アエネアスは敵(トゥルヌス)に迫ると、大木のような槍を振り回し、たけり狂った心でこう叫ぶ。「これ以上何をぐずぐずするのだ。トゥルヌスよ、どうして引き下がる。逃げ足でなく、おそるべき武器を手にとり、一騎討ちでかたをつけねばならないというのに。(890)
自分自身をあらゆる姿に変えるがよい。勇気にせよ技にせよ、おまえが力を発揮できると思うどんな力でも奮い起こすがよい。羽根をつけて高い星座を目指すのもよい。己をうつろな大地の中に埋めこんでもいいだろう。」(893)
トゥルヌスはかぶりを振っていう。「野蛮人め、おまえの火を吐くような言葉が、おれを脅かすのではない。神々が、今や敵となったユピテルが、このおれを脅かすのだ。」(895)これ以上言葉を発せず、トゥルヌスは辺りを見渡すと、大きく古い岩に目を止めた。たまたま野原に横たわっていたもので、土地の境界を示し、争いを未然に防ぐために置かれた大きい岩石であった。これは12人の選り抜きの男たちーー今日大地が生み出す人間と同じ体の大きさをしていたのであるがーーでも、容易に肩にかつげない重さであった。(900)
武将トゥルヌスは、この岩を一気に両腕でつかむと、敵に向けて投げつけた。仁王立ちになり、目にも止まらぬ素早さで。だが彼自身は、自分が走ったことも、動いたことも、腕を振り上げたことも、巨大な岩を持ち上げたことも、何も覚えていなかった。膝はがくがく震え、寒さで血が凍り付いた。そのとき、トゥルヌスの投げた岩は、空虚な空間を回転しながらも、相手の体まで届かず、傷をおわせることすらできなかった。(907)
さながら夢の中で、ものうい気怠さが闇夜に両目を押さえ付けるとき、気持ちでは前に進もうと思いながら、前進できないように思われ、苦しみもがく間に倒れてしまうことがある、舌は力を失い、いつもの活力は体になく、声も言葉も出てこないままに。(912)
そのようにトゥルヌスは、ありったけの力を振り絞ろうとしたが、恐ろしい女神がその成就を妨げた。彼の胸の中では種々の感覚が回転を続けるのみ。トゥルヌスはルトゥリー人と町を見つめ、恐怖によろめき、迫り来る槍におじ気付き、どちらに逃げればよいかわからず、どんな力で敵に向かえばいいのかもわからず、自分の戦車を見失い、御者である妹の姿も見えない。(918)
ためらうもの(トゥルヌス)に向かって、アエネアスは運命の槍を回した。目によって運命(の位置)を求め、体から離れた位置で、渾身の力を込めて槍を回転させた。城壁を打ち破る砲台から投げられた石も、これほど大きなうなりをあげたことはなかっただろう。これほどの雷光をともなって、雷鳴がとどろくこともなかっただろう。槍は、黒い竜巻のように、恐ろしい破滅を運びながら、鎧の縁と盾に施された七重の円の最も外側の部分を打ち破った。(925)
うなりをあげた槍は、相手の太股(ふともも)を貫いた。槍に打たれた巨体のトゥルヌスは、膝を曲げて大地に伏した。ルトゥリ人たちは、どよめきながら、立ちあがった。山全体がその周囲で木霊を返し、深い森は広い範囲にその声を送り返した。(929)
トゥルヌスは今やへりくだった態度で、手を差し伸べつつ、上目づかいでこう述べた。「私は罰を受けるにふさわしい男だ。今更慈悲を乞いはしない。おまえは己の運命を生かすがいい。だが父親のわが子への気遣いが、いささかでもおまえの心を痛めるなら、ーーおまえにもかつてはアンキセスという父がいたはずだーー父ダウヌスの老齢を哀れと思い、この身柄を、もしくは命の光を奪われたわが肉体を、どうか仲間に返してやってくれ。勝利はお前のものだ。アウソニアの連中も、負けたおれが両手を差し伸べているところをちゃんと見ている。ラウィニアはおまえの妻になるのだ。これ以上憎しみの心で迫ってはならない。」(938)
武具に身を包んだアエネアスは、恐ろしい形相で立ちつくし、目を左右に動かしながら、しばし右手の動きを抑制した。トゥルヌスの言葉は、ためらうアエネアスの心を刻一刻と動かし始めた。とその刹那、トゥルヌスの肩高くに不幸な剣帯が認められた。なじみある止めびょうをつけた若きパッラスの帯が光った。トゥルヌスが傷をおわせ、打ち倒したパッラスの帯だ。トゥルヌスは、おのが肩に敵の記章をつけていたのである。(944)
アエネアスは、激しい悲しみをよびさます形見の品、すなわちパッラスの武具を目にすると、狂気に燃え、怒りとともに恐るべき形相を呈し、「こいつめ、わが友の武具を剥いで身につけたやつめ、今度はおれの手で奪い取ってやろうか。パッラスがこの打撃を加えるのだ、パッラスがおまえを葬るのだ。罪深い血によって罪を贖うがよい」と叫んだ。(949)
怒りに狂ったアエネアスは、こう言葉を発すると、剣をトゥルヌスの胸の奥深くにうずめた。冷たくなったトゥルヌスの体は力を失い、生命はうめき声をあげ、怒りつつ黄泉の国へと去っていった。(952)
アエネーイス (西洋古典叢書)
ウェルギリウス 岡 道男