表題のラテン語は簡単に見えて奥が深いです。
Et Thebae steterant altaque Troja fuit.
かつてテーバエが聳えていた。高いトロイアがあった。
このラテン語は時制の解釈が鍵を握ります。steterant はいわゆる過去完了で fuit は完了時制です。ラテン語の完了時制は、その動詞で表される行為が文字通り「完了」することを意味します。たとえば、vixi. (私は生きた)といえば、「私は生きることを終えた」、すなわち、「もう生きていない」、「死んでいる」ということになります。したがって、「高いトロイアがあった」という表現は、要するに「トロイアはもはや跡形もない」という感慨を述べた表現と受け止める必要があります。
つまり、ウェルギリウスの『アエネーイス』に見られる「我々はトロイア人であった。イリウムがあった。」(aen.2.325 fuimus Troes, fuit Ilium.)と同様、「無常」がテーマの一文とみなせます。
このテーマとの関連で、次の詩句もご紹介しましょう(オウィディウス『名婦の書簡』1.53ff.)。
iam seges est ubi Troia fuit, rescandaque falce
luxuriat Phrygio sanguine pinguis humus.昔トロイアがあった所は、今は麦畑になって、プリュギア人の血で肥えた土が、
鎌で借り入れられるばかりに、生き生きと穂が伸びていることでしょう。(柳沼重剛訳)
これは、柳沼先生が『ギリシア・ローマ名言集』の中で紹介されている詩句です(76番)。
ギリシア・ローマ名言集 (岩波文庫)
柳沼 重剛
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