Nemo fortunam jure accusat.

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「ネーモー・フォルトゥーナム・ユーレ・アックーサト」と読みます。
nēmō は英語のnobodyに相当し、「誰も~ない」を意味します。
fortūnamはfortūna,-ae (運命)の単数・対格で、accūsatの目的語です。
jūre は「正当に」を意味する副詞でaccūsatにかかります。
accūsatはaccūsō,-āre(非難する)の直説法・能動態・現在、3人称単数です。
「誰も運命を正当に非難できない」と訳せます。

<感想>
スポーツに「たられば」は禁物です。「ああしたら負けなかった」、「こうすれば勝てた」という言い訳や後悔は先に立ちません。正々堂々と勝負に挑み、負けたらその理由を何かのせいにしてはいけない。これがフェアプレイの精神です。同じことがスポーツ以外の日常生活についても言えるのではないでしょうか。

日頃の失敗やトラブルを他人のせいにしてはいけない。当たり前のことです。でも、運命についてはどうでしょうか。何かうまくいかないことがあると、自分は他人と比べて運が悪いと思う人は少なくないでしょう。表題の言葉はそれをとがめる格言です。

運が悪いと言わないまでも、自分が運命として授かった諸条件に不満を持つ人もいます。様々な人間関係、身体や生まれつきの性格などなど。

最初から自分の運命に満足する人はいないでしょう。よくよく考え、悩んだあげく、なぜああでなくてこうなのか、と自分の運命を見つめ、受け入れることができれば大成功。すべての条件はよくも悪くも解釈できます。ある条件を「だからダメなんだ」と考えるのか、「だからいいんだ」と思えるか。表題の言葉を言い換えると、運命を肯定的に受け止めることは正当なことである、となると思います。言うは易く行うは難しですが。

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この記事を書いた人

ラテン語愛好家。京都大学助手、京都工芸繊維大学助教授を経て、現在学校法人北白川学園理事長。北白川幼稚園園長。私塾「山の学校」代表。FF8その他ラテン語の訳詩、西洋古典文学の翻訳。キケロー「神々の本性について」、プラウトゥス「カシナ」、テレンティウス「兄弟」、ネポス「英雄伝」等。単著に「ローマ人の名言88」(牧野出版)、「しっかり学ぶ初級ラテン語」、「ラテン語を読む─キケロー「スキーピオーの夢」」(ベレ出版)、「お山の幼稚園で育つ」(世界思想社)。

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