「ウト・アゲル・クゥァンウィース・フェルティリス・シネ・クルトゥーラー・フルクトゥオースス・エッセ・ノーン・ポテスト・シーク・シネ・ドクトリーナー・アニムス」と読みます。
utは節を伴い「~のように」を意味します。sicはその中身を受け、「そのように」という意味を表します。
agerは「畑」を意味する第2変化名詞、単数・主格です。
副詞 quamvisは次に形容詞を伴い、「どれだけ・・・でも」という意味を表します。
fertilisは「肥沃な」を意味する第3変化形容詞 fertilis,-eの男性・単数・主格です。
sineは「~なしに」を意味する奪格支配の前置詞です。
culturaは「耕すこと、耕作」を意味する第1変化名詞、単数・奪格です。
fructuosusは「実りをもたらす、多産の」を意味する第1・第2変化形容詞 fructuosus,-a,-umの男性・単数・主格です。
doctrinaは「学識、学問」を意味する第1変化名詞 doctrinaの単数・奪格です。
animusは「精神、心」を意味する第2変化名詞、単数・主格です。
animusの続きに、fructuosus esse non potestを補うことができます。
「畑がいくら肥沃でも耕さなければ多産にならないように、精神も学識を欠くと実りをもたらさない」と訳せます。
キケローの『トゥスクルム荘対談集』に見られる表現です(2.13)。
キケロー選集〈12〉哲学(5)
キケロー 木村 健治