『牧歌』第1歌(試訳)

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「土地没収」

メリボエウス
ティーテュルスよ、おまえは枝を広げたぶなの木の覆いの下に横たわりながら 、ほっそりした牧人の笛で森の調べを吹こうと懸命だ。このわしは愛する土地 を去り、祖国の国境を越えようというのに。それもこれも祖国から逃れるため だ。だがティーテュルスよ、おまえはのんびりと木陰で美しいアマリュリスが 森にこだまを響かせているなどと教えている。(5)
ティーテュルス
おお、メリボエウスよ、この閑暇は神(=オクタウィアーヌス)のたまものに ほかならない。かの人は、いつまでもわたしの神であるだろう。かの人の祭壇 をしばしば囲いの中から選んだ若い羊の血で濡らすつもりだ。かの人は、わた しの牛たちが歩き周り、おまえも見ているように、わたしが田園の葦笛で願い ごとを歌にするのを許されたのだ。(10)
メリボエウス
わたしは妬(ねた)んでいるのではなく、不思議でならないのだ。いまや四方 八方いたるところで騒乱があいついでいる。見てくれ、悲しみに暮れて山羊を 追い立てていくこのわしを。ティーテュルスよ、この母山羊なんかは断腸の思 いで連れていくところなのだ。こいつはたった今、ハシバミの茂みでふたごの 仔山羊を産み落としながら、この群れの希望を、ああ、はだかの岩の上に捨て てきたのだ。わしの頭さえおかしくなければ、しばしばこの災いについては、 天から雷に打たれた樫の木が予言していたことであったと思う。だが、おまえ のいう神とはいったいだれなのか。ティーテュルスよ、教えてくれ。(18)
ティーテュルス
メリボエウスよ、愚かなわたしは、人がローマと呼ぶその町を、このあたりの 町と同じようなものと勘違いしていた。われわれ牧人がしばしばかわいい子供 の羊を追い立てていくような町と。そのように、子犬は犬とにており、子山羊 は親山羊とにていると思っていた。また大きなものは小さいものからできてい るくらいに思っていたのだ。だが、ローマは他の町とくらべものにならないく らい抜きん出ていた。しなやかな柳の間で糸杉が段違いに天高く聳えているよ うに。(25)
メリボエウス
ではなんだって、おまえはローマを見にいく理由があったのだ。(26)
ティーテュルス
「自由」のためだ。「自由」は遅まきながら、ぐずのわたしに目くばせしたの だ。切り落とした髭(ひげ)に白いものが混じるようになってからのこと。「 自由」はわたしに好意を寄せ、長い年月の末、ついに訪れたのだ。アマリュリ スがわたしの心をとりこにし、ガラテアが去ってからのこと。というのも、白 状するが、ガラテアがわたしをとらえて放さぬあいだ、わたしには自由の希望 も、金銭への執着もまるでなかったのだ。たとえどんなに多くの犠牲獣がわた しの家畜小屋から出ていこうと、恩知らずの都会人のためにたっぷりチーズを つくったとしても、わたしの右手が銅貨で重くなって家に戻ることはついぞな かったのだ。(35)
メリボエウス
わたしはよく驚いたものだ、アマリュリスよ、どうして悲しげな顔で、おまえ が神々に祈りをささげているのかと。誰のために林檎を木に残したままにして いるのかと。ティーテュルスが家を出たからなのだ。ティーテュルスよ、松の 木も、泉も、果樹園もおまえを呼んでいたというのに。(39)
ティーテュルス
このわたしに何ができたというのか。奴隷の状態から自分を開放することも、 これほど頼りになる神々を見付けることも、ローマ以外の場所ではできなかっ たのだ。メリボエウスよ、ここでわたしはあの若者(オクタウィアーヌス)を 目にしたのだ。この人のために、わたしの祭壇は年に12回も煙を出すのだ。ロ ーマではこの人が初めて、嘆願するわたしに答えてくれたのだ。「おまえたち は、以前のように、牛を養うがよい。雄牛を飼うがいい。」と。(45)
メリボエウス
幸福な老人よ、だからおまえの土地はこれからも守られて残るのだな。あれは おまえには大きすぎる地所だ。裸の石ころや泥だらけのイグサの生えた沼が、 牧草地のあちこちを覆っているにせよ。慣れない草が仔をはらんだ母牛を襲う ことはないし、近くの家畜の悪い病気が害をおよぼすこともない。幸福な老人 よ、ここでは愛着のある川と神聖な泉の間に囲まれて、おまえは木陰の涼しさ を手にすることが出来るのだ。いつものように、この隣の家との境界にある垣 根は、ヒュブラの蜜蜂に柳の花の蜜をすわれているが、しばしば軽いうなり声 で眠りを誘っている。こちらの切り立った崖の下では、葡萄の葉を摘む者がそ よ風に向かって歌を歌い、その間おまえのお気に入りの山鳩やキジバトは、低 い音で高い楡の木のてっぺんから鳴くのを止めることはないだろう。(58)
ティーテュルス
だから、足の軽い鹿が空中で草をはみ、海が魚を裸のまま浜辺に置き去りにす るまでは、あるいは、二つの国が入れかわり、追放されたパルティア人がアラ ル川の水を、ゲルマニア人がティグリス川の水を飲むまでは、あの方の面影が この胸から消え去ることはないだろう。(63)
メリボエウス
だが、われわれの中にはこの地を去って渇きに苦しむアフリカ人のもとに赴く 者もいるだろう。スキュティアや、白亜の流れも急なオアクセス川をめざす者 もいるだろう。あるいは、全世界からすっかり切り離されたブリタンニア人の 土地に行く者もいるはずだ。ああ長い年月を経たのちに、いつの日かこの父祖 の土地を目にして、わたしは驚くことがあるのだろうか。この貧しい小屋の芝 草をつみ重ねた屋根、かつてはわたしの王国であったこの土地に、いくつか麦 の穂をみつけて驚く日がおとずれるのか。(69)
不敬な軍人どもが、こんなにもよく耕した土地を手にいれてよいのか?あの野 蛮人どもがこの収穫物をだと?内乱は惨めな市民をどこに連れていったのか。 こいつらのために、わしらは畑に種をまいたというのか!さあメリボエウスよ 、今こそなしを植えるがいい。葡萄の苗を整然と植えるのだ。かつては幸福だ った家畜の群れよ、行くがいい。わたしの山羊たちよ、さあ行け。今後、わた しは緑の洞穴の中に寝そべって、おまえが藪の生えた崖からぶらさがるのを、 遠く眺めることもないだろう。わたしはもう歌は歌わない。山羊よ、わたしが 世話をやめたら、おまえたちは花咲くウマゴヤシも苦い柳も食べることはでき ないのだ。(78)
ティーテュルス
だが今夜はこの緑の草の上でわたしと一緒に休んだらいい。熟したリンゴもあ るし、柔らかい栗の木も、しぼったチーズもたっぷりある。今あちらの家の屋 根のてっぺんから煙がでている。山の高みからは長い陰がおりている。(83)
***
前41年の土地没収(第二回三頭政治による)ゆえ故郷を出ていくメリボエウス と、彼を慰めるティーテュルスとの対話体の詩。土地を奪われた農民の苦悩と 、内乱への怒りが描かれる。舞台は他の牧歌と同様穏やかな田園世界であるが、もはや牧人の理想郷として描かれるのではない。

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この記事を書いた人

ラテン語愛好家。京都大学助手、京都工芸繊維大学助教授を経て、現在学校法人北白川学園理事長。北白川幼稚園園長。私塾「山の学校」代表。FF8その他ラテン語の訳詩、西洋古典文学の翻訳。キケロー「神々の本性について」、プラウトゥス「カシナ」、テレンティウス「兄弟」、ネポス「英雄伝」等。単著に「ローマ人の名言88」(牧野出版)、「しっかり学ぶ初級ラテン語」、「ラテン語を読む─キケロー「スキーピオーの夢」」(ベレ出版)、「お山の幼稚園で育つ」(世界思想社)。

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