セネカ『倫理書簡集』13を読む
「先走りして苦労するな」
[4] Plūra sunt, Lūcīlī, quae nōs terrent quam quae prēmunt, et saepius opiniōne quam rē labōrāmus.
Plūra: 第1・第2変化形容詞multus,-a,-um(多くの)の比較級、中性・複数・主格。
sunt: 不規則動詞sum,esseの直説法・現在、3人称複数。
Lūcīlī: Lūcīlius,-ī m.(ルーキーリウス)の単数・呼格。
quae: 関係代名詞quī,quae,quodの中性・複数・主格。先行詞ea(指示代名詞is,ea,idの中性・複数・主格)が省略されている。
nōs: 1人称複数の人称代名詞、対格。
terrent: terreō,-ēre(脅かす)の直説法・能動態・現在、3人称複数。
quam: ~よりも
quae: 関係代名詞quī,quae,quodの中性・複数・主格。
prēmunt: prēmō,-ere(押しつぶす)の直説法・能動態・現在、3人称複数。目的語としてnōsを補う。「我々を(nōs)押しつぶす(prēmunt)よりも(quam)我々を(nōs)脅かす(terrent)ところの(quae)ものは(ea)より多い(Plūra sunt)」。
et: 「そして」。suntとlabōrāmusをつなぐ。
saepius: saepe(頻繁に)の比較級。
opiniōne: opiniō,-ōnis f.(思い込み)の単数・奪格。
quam: ~よりも
rē: rēs,reī f.(事実)の単数・奪格。
labōrāmus: labōrō,-āre(苦労する)の直説法・能動態・現在、1人称複数。
<逐語訳>
ルーキーリウスよ(Lūcīlī)、我々を(nōs)押しつぶす(prēmunt)よりも(quam)我々を(nōs)脅かす(terrent)ところの(quae)ものは(ea)より多い(Plūra sunt)。そして(et)我々は事実によって(rē)よりも(quam)より頻繁に(saepius)思い込みによって(opiniōne)苦労する(labōrāmus)。
Nōn loquor tēcum Stōicā linguā, sed hāc summissiōre;
Nōn: 「~でない」。loquorを否定。Nōn A sed Bの構文におけるNōn。
loquor: 形式受動態動詞loquor,-quī(語る)の直説法・現在、1人称単数。
tēcum: tēは2人称単数の人称代名詞、奪格。cumは「<奪格>とともに」。tēcumで「君とともに」。前後関係から「君に対して」と訳すと自然。
Stōicā: 第1・第2変化形容詞Stōicus,-a,-um(ストア学派の)の女性・単数・奪格。linguāにかかる。
linguā: lingua,-ae f.(言葉)の単数・奪格(「手段の奪格」)。
sed: 「むしろ」。nōn A sed Bで「AでなくB」を意味する。
hāc: 指示形容詞hic,haec,hoc(この)の女性・単数・奪格。省略されたlinguāにかかる。
summissiōre=submissiōre: 第1・第2変化形容詞submissus,-a,-um(へりくだった)の比較級、女性・単数・奪格(「手段の奪格」)。「この(hāc)よりへりくだった(summissiōre)言葉によって」。
<逐語訳>
私はストア学派の(Stōicā)言葉によって(linguā)君に対して(tēcum)語る(loquor)のでなく(Nōn)、むしろ(sed)この(hāc)よりへりくだった(summissiōre)言葉によって語っている。
nōs enim dīcimus omnia ista quae gemitus mūgītusque exprīmunt levia esse et contemnenda.
nōs: 1人称複数の人称代名詞、主格。「われわれは」。文脈から「われわれストア派は」。
enim: というのも
dīcimus: dīcō,-ere(言う)の直説法・能動態・現在、1人称複数。
omnia: 第3変化形容詞omnis,-e(すべての)の中性・複数・対格。不定法(esse)の意味上の主語。
ista: 指示代名詞iste,-a,-ud(それ)の中性・複数・対格。omniaにかかると解釈する。「それらすべてのこと」。
quae: 関係代名詞quī,quae,quodの中性・複数・対格。先行詞はista。
gemitus: gemitus,-ūs m.(うめき)の単数・主格。
mūgītusque: mūgītusはmūgītus,-ūs m.(うなり声)の単数・主格。-queは「そして」。gemitusとmūgītusをつなぐ。
exprīmunt: exprīmō,-ere(絞り出す)の直説法・能動態・現在、3人称複数。
levia: 第3変化形容詞levis,-e(軽い)の中性・複数・対格。不定法句の補語。
esse: 不規則動詞sum,esse(である)の不定法・現在。
et: 「そして」。leviaとcontemnendaをつなぐ。
contemnenda: contemnō,-ere(軽視する)の動形容詞、中性・複数・対格。不定法句の2つ目の補語。
<逐語訳>
というのも(enim)うめき(gemitus)と(-que)うなり声が(mūgitūs)絞り出す(exprīmunt)ところの(quae)それらの(ista)すべてのことが(omnia)軽く(levia)そして(et)軽視されるべき(contemnenda)であることを(esse)我々は言っている(dīcimus)。
Omittāmus haec magna verba, sed, dī bonī, vēra:
Omittāmus: omittō,-ere(無視する、顧みない)の接続法・能動態・現在、1人称複数(「意志」)。
haec: 指示形容詞hic,haec,hoc(この)の中性・複数・対格。verbaにかかる。
magna: 第1・第2変化形容詞magnus,-a,-um(大きな)の中性・複数・対格。verbaにかかる。
verba: verbum,-ī n.(言葉)の複数・対格。
sed: しかし
dī: deus,-ī m.(神)の複数・呼格。
bonī: 第1・第2変化形容詞bonus,-a,-um(よい)の男性・複数・呼格。dīにかかる。
vēra: 第1・第2変化形容詞vērus,-a,-um(真の)の中性・複数・対格。verbaにかかる。
<逐語訳>
我々はこれらの(haec)大きな(magna)、しかし(sed)、よき(bonī)神々よ(dī)、真の(vēra)言葉を(verba)顧みないでおこう(Omittāmus)。
illud tibi praecipiō, nē sīs miser ante tempus, cum illa quae velut imminentia expāvistī fortasse numquam ventūra sint, certē nōn vēnerint.
illud: 指示代名詞ille,illa,illud(あれ)の中性・単数・対格。「あれを」とはnē以下の従属文の内容を指す。「nē以下のことを」。
tibi: 2人称単数の人称代名詞、与格。
praecipiō: praecipiō,-pere(指示する、忠告する)の直説法・能動態・現在、1人称単数。
nē: (命令、指示を意味する動詞とともに)「~しないように」。接続法を伴う。
sīs: 不規則動詞sum,esse(である)の接続法・現在、2人称単数。
miser: 第1・第2変化形容詞miser,-era,-erum(惨めな)の男性・単数・主格。
ante: <対格>の前に
tempus: tempus,-poris n.(時)の単数・対格。「時(tempus)の前に(ante)」とは「時が至る前に」のこと。
cum: 「~なので」。接続法を伴う理由文を導く。
illa: 指示代名詞ille,illa,illud(あれ)の中性・複数・主格。
quae: 関係代名詞quī,quae,quodの中性・複数・対格。先行詞はilla。
velut: あたかも~のように
imminentia: immineō,-ēre(脅かす)の現在分詞、中性・複数・対格。名詞的に用いられ、脅かしているもの」を意味する。
expāvistī: expavescō,-ere(ひどく恐れる)の直説法・能動態・完了、2人称単数。「あたかも(velut)脅かしているもの(imminentia)のように君がひどく恐れた(expāvistī)ところの(quae)ものは(illa)」。
fortasse: おそらく
numquam: 「けっして~ない」。sintを否定する。
ventūra: veniō,-īre(来る)の未来分詞、中性・複数・主格。「けっして(numquam)来るだろうもの(ventūra)で(sint)はない」。
sint: 不規則動詞sum,esse(である)の接続法・現在、3人称複数。
certē: たしかに
nōn: 「~でない」。vēnerintを否定。
vēnerint: veniō,-īre(来る)の接続法・能動態・完了、3人称複数。
<逐語訳>
私はあれを(illud)君に(tibi)忠告する(praecipitō)、すなわち、時(tempus)の前に(ante)惨めに(miser)ならぬように(nē sīs)、と。というのも、あたかも(velut)脅かしているもの(imminentia)のように君がひどく恐れた(expāvistī)ところの(quae)あれらのものは(illa)、おそらく(fortasse)けっして(numquam)来るだろうもの(ventūra)で(sint)ないから。そして、たしかに(certē)まだ来てはいない(nōn vēnerint)から。
[5] Quaedam ergō nōs magis torquent quam dēbent, quaedam ante torquent quam dēbent, quaedam torquent cum omnīnō nōn dēbeant;
Quaedam: 不定代名詞quīdam,quaedam,quiddam(ある人、あるもの)の中性・複数・主格。「あるものは」。
ergō: それゆえ
nōs: 1人称複数の人称代名詞、対格。
magis: さらに、もっと
torquent: torqueō,-ēre(苦しめる)の直説法・能動態・現在、3人称複数。
quam: 以上に
dēbent: dēbeō,-ēre(義務がある、~すべきである)の直説法・能動態・現在、3人称複数。「あるものは(Quaedam)すべきである(dēbent)以上に(quam)もっと(magis)我々を(nōs)苦しめる(torquent)」。
quaedam: 不定代名詞quīdam,quaedam,quiddam(ある人、あるもの)の中性・複数・主格。
ante: 前に
torquent: torqueō,-ēre(苦しめる)の直説法・能動態・現在、3人称複数。
quam: よりも
dēbent: dēbeō,-ēre(義務がある、~すべきである)の直説法・能動態・現在、3人称複数。
quaedam: 不定代名詞quīdam,quaedam,quiddam(ある人、あるもの)の中性・複数・主格。
torquent: torqueō,-ēre(苦しめる)の直説法・能動態・現在、3人称複数。
cum: 「~のにかかわらず、~であるけれども」。接続法をとる(「譲歩」)。
omnīnō: 全く
nōn: 「~でない」。dēbeantを否定する。
dēbeant: dēbeō,-ēre(義務がある、~すべきである)の接続法・能動態・現在、3人称複数。
<逐語訳>
それゆえ(ergō)あるものは(Quaedam)すべきである(dēbent)以上に(quam)もっと(magis)我々を(nōs)苦しめる(torquent)。あるものは(quaedam)すべきである(dēbent)よりも(quam)先に(ante)苦しめる(torquent)。あるものは(quaedam)全く(omnīnō)すべき(dēbeant)でない(nōn)のに(cum)苦しめる(torquent)。
aut augēmus dolōrem aut praecipimus aut fingimus.
aut: 「あるいは」。aut A aut B aut C(AまたはBまたはC)の構文における1つ目のaut。
augēmus: augeō,-ēre(増やす)の直説法・能動態・現在、1人称複数。
dolōrem: dolor,-ōris m.(苦しみ)の単数・対格。
aut: 「あるいは」。aut A aut B aut C(AまたはBまたはC)の構文における2つ目のaut。
praecipimus: praecipiō,-ere(先取りする)の直説法・能動態・現在、1人称複数。
aut: 「あるいは」。aut A aut B aut C(AまたはBまたはC)の構文における3つ目のaut。
fingimus: fingō,-ere(ねつ造する)の直説法・能動態・現在、1人称複数。
<逐語訳>
我々は、あるいは(aut)苦しみを(dolōrem)増やし(augēmus)、あるいは(aut)先取りし(praecipimus)、あるいは(aut)ねつ造する(fingimus)。
<和訳>
ルーキーリウスよ、この世には私たちが恐れているだけのもののほうが実際に私たちを押し潰すものより多く、私たちは事実よりも思い込みのために苦労することが多い。いま君との話で私はストアの言い方ではなく、もっと控えめな言い方をしている。というのも、私たちの言い方では、嘆きや呻きによって表明されるようなことは、すべて取るに足らぬ軽蔑されるべきことだから。いま私たちはこうした高所からの――しかし、神に誓って、真実の――言葉は使わぬことにしよう。私は君に忠告する。早まって自ら不幸になってはならない。まるでいまにも降りかかってくるかと君の血の気を失わせることでも、ひょっとすると来ないかも知れず、少なくとも、いまはまだ来ていないのだから。
だから、私たちは苦しんで当然である以上に苦しむこともあり、苦しんで当然であるときより前に苦しむこともあり、 まったく苦しむべきではないのに苦しむこともある。 つまり、 私たちは苦痛を誇張したり、あるいは先取りしたり、あるいはこしらえたりする。(岩波書店、高橋宏幸訳)