私が、岡先生と最後にお会いしたのは、昨年六月の古典学会(於東大)のときのことである。ちょうど「キケロー選集」(岩波書店)の御担当分(『国家について』、『法律について』)が刊行されて間もない頃であった。昼休みに三四郎池のほとりでお話しする機会があったとき、話題は自然とキケローの翻訳のことに及んだ。先生は、今回の翻訳においては徹底した直訳体を試みたと言われ――原文のカンマ、ピリオドに至るまで日本語の句読点に一致させる、等――、キケローの訳は直訳を旨とするのがよいと仰った。
今、大学の授業でキケローの「スキーピオーの夢」(『国家について』第六巻)を学生たちと読んでいる。浅学な私には、先生が仰った言葉の本当の意味は、未だによくわかっていないのかもしれないが、少なくともキケローの原文――そびえ立つアルプスの山のように見える――に直に取り組もうとする真摯な登山者にとって、先生のご労作がこの上なく頼もしい「導き手」であることに疑いはない。
と、ここまで書いてきて、私は先生がかつて口にされたある言葉を思い出した。どういう前後関係だったかは忘れたが、当時学生だった私は、失礼を顧みず、「先生はどうして一般向けの本をお書きにならないのですか。」と問うたことがあった。すると先生は、「私は啓蒙書を書くより論文が書きたい。専門以外の人は、専門家の書いたものを信用する。だから間違いが許されない。それに対し、私は間違ったことを書く可能性があるが、専門家相手なら、間違いだと気づいてもらえる。つまり、議論ができる。」という趣旨のことを語られた。
そのとき周りには、私以外にも数名の学生がいた。先生は続けて仰った、「私たちは、常に世界を見て研究しなければならない。そして百年先の学問に貢献しなければならない。だから、私は君たちのような若い学生に語りたいことがいっぱいあるのだ。」と。
当時、私は西洋古典を学び始めてまだ日が浅く、先生の高邁な論理のつながりがすぐさま理解できなかったが、「世界を視野に入れた研究」であるとか、「百年先の学問」といった普段耳慣れない言葉だけが不思議に心に残った。
だが、いっそう印象に残ったのは、むしろ次の言葉であった。すなわち、先生は続けて言われた、「世界を見るとは、必ずしも英語で論文を書くことを意味するのではない。日本語であっても、論理を重んじる態度が何より大切である。今後、世界のより多くの人が日本語を学び、理解する日が来るに違いない。」と。岡先生が多少なりとも予言めいたことを口にされたのは、このときが最初で最後であった。
その後、数年の月日が流れ、私がこれらの言葉を再び思い出すきっかけとなったのは、先生が演習の授業で、ウェルギリウスの『アエネイス』を取り上げられた時のことであった。この作品の第一巻半ばには、ユッピテルが未来のローマの運命を物語る有名なエピソードがあり、その中に、imperium sine fine という表現がある。私は授業の中で、「限界のない支配権」と訳したところ、先生は、言下に「際限のない支配権」の方がいいと言われた。続けて、「ローマの支配権は、時間的にも空間的にも際限がないという趣旨だ。」と説明された。このとき、私の脳裏には、かつて先生が口にされた「世界」や「百年先」といった言葉が蘇ったのである。
それから、さらに年月が経ち、私は今、学生たちといっしょに「スキーピオーの夢」を読んでいる。宇宙の高みから小さな地球を指さしつつ、真の誉れの何たるかを語る大アーフリカーヌスの言葉は、地上の栄光(gloria)――時間的にも、空間的にも限定されている――のはかなさを指摘してやまない。キケローのラテン語を読めば、岡先生の肉声が、今もありありと聞こえてくるかのようである。はたして、先生がキケローのラテン語を日本語に直されたのか、あるいは、キケローが先生の日本語をラテン語に表したのか。
私はさらに想像を逞しくする。百年先の地球という星においては、世界の人々が、岡先生の日本語を「導き手」とし、キケローの原文に挑戦しているだろう、と。すでにふれたように、将来の日本語の普及と発展を確信しておられた先生にとって、その可能性は自明のことのように思われたに違いない。
もし、この想像が当たっているとすれば、冒頭で触れた「キケローの翻訳は直訳を旨とすべし」という先生の言葉の真意は、やはり、「世界」や「百年先」といったキーワードとともに理解すべきことのように思えてくる。すなわち、先生が今回キケローの原文に限りなく忠実な日本語を用意されたのは、ご自身の訳文が、キケローの「論理」――世界の人々によって理解されうる普遍性を有する――の美しさを永遠に保持することを何より祈念しての措置であったと思われる。